一口に「職人」と言っても世の中にはいろいろな職人がいるが、大まかに分けると、後々まで仕事の出来映えが残る職人とそうでない職人がいる。
もっともここで言うのは仕事のレベルの話しではなくて、職種による仕事の性質の違いの話。
例えば料理人。
もちろんその仕事ぶりや評判は後々まで語り継がれることになるのだが、作品自体はお客の腹の中に消えてしまうから残らない。
美容師や理容師、または医師や鍼灸師などもこれに入るだろう。
ある意味、その瞬間瞬間で顧客を納得させる結果を出さなければならない、という部分で難しいと思う。
一方で、やった仕事が後々まで形を残すタイプの職人。
これは例えば時計屋や大工、彫金師や画家などもこの類だろうが、こちらは良くも悪くも後まで残る。
例えば、宮大工の建てた寺院が後世まで残って人々の目に触れ続ける、と言う具合。
この中でも、その仕事ぶりや作品が広く人々の目に触れる仕事とそうでないものがあるが、時計の修理・修復の仕事の出来映えはこれまで長い間人の目に触れないものだったのだ。
言ってみれば、仕事の出来映えは時計の調子で判断するのみ。
動かなかった時計が動くようになれば、「いい仕事」、時間の合わなかった時計の時間が合うようになればこれも「いい仕事」という具合。
もっとも殆どのユーザーにとっては、今でもこれで問題ないはずだが、、。
ところがアンティークウォッチに関しては多くの場合そうではない。
近年、多くの収集家にとって大切なのは機械の性能だけではなくなっているのだ。
例えば、どんなに時間が合うように修理されようと、視覚的に美しく造られた機械の仕上がりを損なうような修理の仕方がされれば、これは問題になる。
大きなキズ、ハンダや接着剤を使ったやっつけ仕事等、、多くの場合、これらは今まで時計の持ち主にすら確認されることがなかったはずだ。
「酷い仕事をするなぁ」、、、せいぜい後年になって時計を分解した同業者にのみ認識されていたのだ。
時代は確実に変わった。
アンティークウォッチ収集の世界はより成熟し、コレクターの興味は時計の外見・性能だけでなく、その機械の「仕上がりの美しさ」に注目し始めたのだ。
加えてデジタルカメラやパソコンの普及により、機械の内部を画像で確認することが可能になった。
思うにこれは、何百年も前の時計職人達の執念の作り出した流れではないだろうか。
何故なら多くのアンティークウォッチの機械には、その性能と無関係な部分にまで「視覚的に美しく」する努力がなされているからである。
にもかかわらず、、、ケースを開けなければ見えない機械表面の模様などはもとより、分解した時にしか確認できない部品裏の美しい仕上げ等は、当時から時計の持ち主には知るよしもなく、、、今まで 「時計を分解する時計屋を喜ばせるためだけのもの」 であったのだ。
「日の目を見る」というか、当時の時計師達があたかもこういう時代が来ることを予測していたようだ。
話しを修理・修復師の仕事に戻そう。
一旦行った仕事は良くも悪くも後年に残る。
自分が付けた「キズ」は自分が骨になっても延々存在し続けるのだ。
どうにも体調の悪い日に私が修理台に座らないのは (2日酔いも含め?)、、、、、以上のような理由によるものですので、、、、、、修理をお待ちのお客様、、、どうぞご容赦下さいませ (〃∇〃)。