3.11 | 南半球一周計画

南半球一周計画

2011年8月~2012年4月までスペインを中心にヨーロッパ各地、ラテンアメリカの国々を旅行しました。

タイトルとはずれたとこから記事を書きますが、今回の旅の備忘録を踏まえたうえでお伝えしたく

前日の出来事からまとめたいと思います。



3月9日の夜出発し、10日はTABIPPOの世界一周イベントに参加してきました。


EXILEのUsaさんのトークは特に記憶に残っています。

旅がなんだというよりも、旅の中で人生を見つけるプロフェッショナルだなと感じた。



まぁとにかく素敵だったわけです(笑)


京急で三崎口まで行き、そっから30分くらいバスに乗ったわけですが…



着いたら





雲、、、、雲、、、、、、、





雨……。。




極めつけは方角を完全に誤っていたことです。というより雲に覆われていて全く解らなかったのです。

なんとか細い月が顔を出したので手掛かりができたし、それに足場が悪かったので


また1時間くらい歩いて県立公園側へ移動。



到着~!!と一息ついてたら謎の釣り人が暗い崖から昇って来るのでビビってしまったが、その人は雨がぽつ
ぽつしてるというのに



『26時なら雲はとれるだろうな~』




と根拠なく勘を頼りに言い残し去っていった。。




結局、展望台近くの空地にシュラフを並べて仮眠…


一応20時~26時くらいまでは寝たり、起きたり、貼るカイロを増やしたり、ポジションを変えたり、

飲み物飲んだりしながら寒さと闘う。



26時半まで寝てるつもりだったが、寒さで足の指がかじかんで起床。



ごそごそと赤道儀を準備して撮影開始。



うん。快晴です!




お天気キャスターさよならです。



東の空から天の川が昇ってくるのですが、どうも構図に納得が行かなくて

灯台の近くの岩場まで降りて行って撮影を再開しました。一枚目の写真はその岩場から撮影したものです。




で、結局4時半くらいには上に戻り朝日を待つ。




ご来光は素晴らしかったのですがあまりにそっけなさすぎてというか、寝不足のおかげでよく覚えてないんだけど、、


とりあえず馬の背洞門に移動。。



ここは富士山がきれいに見えてましたね。




南天を撮影するには、この馬の背洞門近くの海岸からのロケーションがいいだろうなと思いましたがここはアクセスが悪いというか、石を削って造られた階段を行く道となっているので、陽のあるうちの移動が必要ですね。



その後はずいぶんと歩いて島から半島側に移動しバスで三崎口駅へ。

京急特急に乗ること終点の品川まで。



東京スカイツリーを観に行こうということで609Mまで成長したタワーを見てきました。



うん。。



すごいけどつまんねー。。





で横浜中華街へ戻る。


五穀豊穣というラーメン屋に行って辛いラーメンを食べるわけです。



とにかく辛いんです。。




辛さ設定が




・小学生


・中学生


・大学生


・教授


・チャンピオン



と選べるわけですが以前教授クラスを難なく完食したのでチャンピオンを頼んだわけです。。








辛ぇ…。。。



結局一時間ぐらい闘ってたわけです。




この後は甘いものを食べ歩きしながら帰路のため石川町へ。

乗り換えで横浜駅で下車し、電車が来ていたので全力疾走。。




14時48分…




震度5強~6弱の揺れを感じました。


地震が起きたのは14時46分だそうですが自分が気付いたのと、乗れなかった電車の時刻表は48分だったのでこの時間にしました。

3分以上揺れてたんじゃないかな…



これはなにかあったんだろうと思いホームを降りると

テレビを見つめている人々。。



恐怖のあまり泣き崩れている人。。



電話をしている人。。



第一報では30メートルを超える津波が襲来する恐れと言っていたので、

最初は30センチの間違いだろう…と思ってましたが次々にまちを飲みこんでゆく水舌。



最終的にそれほど大きな波ではなかったのだろうが予想以上の惨事に皆唖然。。呆然。。




300キロしか離れていない場所でこんなことが起きているんだなんて信じがたい映像だった。



戦慄が走るとはこのことだ。




と、個人的な被災の内容としては鉄道・バスが全線運休し、帰宅でき無くなってしまったわけです。



まぁその後色々あり、周りにも倣い横浜駅で野宿を開始すること20分…



パシフィコ横浜へ避難指示。。




一応パシフィコの展示ホールは550㎡のスペースに6500人のキャパがあったみたいだが全然足りてなかったっぽい。。




新横の人たちは浜リーナに避難したらしい。




後ほど聞いた報道によると横浜駅周辺には6万人以上の帰宅困難者がいたとのこと。。


幸いシュラフを持っていたのですぐに寝入ることができたのだが、一晩に10件以上の緊急地震速報のアラームが鳴り目を覚ます。。

またすぐ寝てしまうのだが不安で一睡もしてない人も居たようだ。




3日間ほぼおにぎりで食いつないでいたおかげで2kg以上減量していた。。



体脂肪も11%あったのが8%に。。





恐ろしいね。。ツナマヨ





翌朝、8時前にはパシフィコを追い出されたので横浜駅へ向かい途中、道路の亀裂や、割れたガラスや壁がおちているのがわかる。。


津波が着たことも、岸辺のコンクリートの濡れ具合で解る。



…しかし、状況の変化はそんな程度。。




新聞やテレビで見聞きする惨状はとても想像しがたいものだ。



そんな自然の脅威を噛みしめながら駅に着くと、、

昨日の帰宅困難者やら通学・通勤の人々であふれかえっていた。。


どれくらい混雑してたかって表現しにくいのですが、改札を通りホームに上がるまでに1時間半ぐらいかかるほどの人だかり。


さらに徐行運転のため横浜~戸塚まで30分以上かけて満員電車は進んでいた。。



横浜駅を出たのが結局10時頃、戸塚には10時半ごろの到着でしたが、大船からは通常に近いスピードで走行できたおかげで熱海に12時頃到着。



ここで昼食をとり、沼津へ向かおうとするも大津波警報が静岡県に出ていたため足止めをくらう。




結局三島駅に到着というか漂着。。




ここで一時間以上悩んだ末、『青春18きっぷで最後まで帰りたいんだ!!』


と言い張る頑固な相方を置き去りにし、名古屋まで新幹線で帰ることを選択。。


自分はどうしても翌日の名古屋国際女子マラソンの仕事に間に合わせたい思いあっての選択だったが、



結局マラソンは中止。。





ひかり自由席 7560円返して下さい。。笑Enai




で17時半頃、無事実家へ到着しましたとさ。

一方相方は23時過ぎに到着したみたいだ。。



JRの対応の悪さには甚だ怒りを覚え、ここぞとばかりにストレスを込めた苦情を押しつけてみたが虚しいだけ。。




皆が皆、被災者なのだ。。




しかし、どうして新幹線だけ通常通り運行していたのだろうかと疑問を抱いたのは自分だけではないだろう。。



これは推測としてだが、3月12日は九州新幹線全線開通の日となっていたのだ。


東日本地方の地震に鑑み、記念のイベントを取りやめたとのことだが、走らせないわけにはいかない状況があったのだ。。

こういうところがJR西日本の評価を下げているのかもしれないなと、思ったりもしますが、


やっぱり彼らも被災者なのです。



自分たちも天の川を収穫できなかったらもう一日、城ヶ島の磯部でキャンプをする予定だったのだ。



もっと言うなら、二日目は鴨川や房総半島の太平洋側に移動しようかとも計画していた。。




前者は被害こそ耳にはしていないが、房総半島では大津波に飲み込まれた人々がいる。




半日遅かったら自分たちも…



なんて思うと、今生きてることが当たり前だなんて思えない。




色々な運命の不甲斐なさに憤りを感じたり、悲しみの見えない影に実は安堵を覚えていたり。。

だからこそ、時に不気味な運命に守られ、それを幸せに感じたり、生きてる今を大切にしようと思えるのだ。。




あの国はテロが起きるし、内争が絶えないから危険だ=中東・北アフリカ


スリなどの犯罪が多いから危険=スペイン・イタリア・タイ・インド



っていう固定観念も専ら外れてはいないのかもしれないが、安全を証明できる場所なんてこの対流圏上にはどこにもない。




被害に遭遇する確率なんて人口を被害件数で割って出した数にすぎない。



当事者にとってみれば100%の現実なのだ。。





そういったことを改めて考えさせられる今回の震災。。






ここは管総理の政権の明暗がかかっていますからね~なんて馬鹿なことを言うキャスターもいれば、


マスコミにお願いがあります…と枝野官房長官が言った途端に中継を外すテレビ局も。。




お互いのつぶし合いを予算会議でする議員たち。。




そういった愚かな霞が関のために、どうして神様はあんな理不尽とも思える様な仕打ちを与えたのだろうか。



自分の身を持って考えていかなくてはならない人達が他に沢山いると思う。。



こんな表現は適切ではないのだろうけど、

やっぱり皆が協力っていうか、大切なものに気付いていこうという努力をしなければならない時なんじゃないかな。




なんだか話がそれましたが、何より自分は生きて帰ってこられてよかった思ってます。





被災された全ての方々へ、お悔やみ申し上げます。

また行き残られた方々へ、早急な復興をお祈り致します。