南半球一周計画

南半球一周計画

2011年8月~2012年4月までスペインを中心にヨーロッパ各地、ラテンアメリカの国々を旅行しました。

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アレキパでは結局7日間も滞在してしまいました。
街がきれいで治安もそこそこというのも過ごしやすい理由ですが、、3日目の夕食でメキシコ料理を食べた時に全身に蕁麻疹がでてしまい、そのあと発熱。

ホテルのオーナー曰く軽度のテンゲ熱のせいだとのこと。


まるっと二日間ベッドから起き上がることができないくらい苦しみましたが、それなりに楽しんでました。
ゴーカートに行ったり、ピスコ片手に観光ビジネスの可能性について現地のツアー会社の社長さんと語り合ったり、ストリップショーに行ったり、まあ色々と充実してました。


アレキパの次はペルー最後の街タクナから国境を越えてチリのアリカへ。
ここの国境では厳しい検査の上、指紋まで全部スキャンされる始末。。なにより、標高2350メートルのアレキパからの移動だったので暑い暑い。。

で、とりあえずチリ初日はイキケで一泊することに決定!!

ということでアリカから砂漠を抜けるバスに乗っていたのだが、、砂漠のど真ん中で急停車。。。

何事かと思ったが小さなバス停的なものがあったみたいで、人が乗り込んでくる。。

・・・・・


ってダニエルじゃん!!!!!!!!!!!




彼とはアレキパで出会って、自分より3日くらい先に旅立ったウルグアイ在住のイギリス人なのだが、
彼と奇跡の再会!!


彼はヒッチハイクでイキケに向かう予定だったがうまくいかず、砂漠のバス停で野宿しながら旅をしてたそうだが、さすがに腹が減ったらしくバスに乗り込んできたのだ。

もってたサンドウィッチを半分個にして食べる。



野宿の思いで話で盛り上がってたらあっという間にイキケに到着。
けっこう遅かったし、夜はやたら治安が悪いと聞いていたのでタクシーで宿を探すもめちゃくちゃ高かったり汚かったりでなかなか決まらず。。

最終的に選んだホテルは安かったものの毛布が潮風でベトベトしていて最悪だったなw


なんというか、、

カナリア諸島で野宿して波しぶきをかぶったときのことを思い出させるような海辺の町どくとくの雰囲気(笑)


昼間は観光してみたがあんがいいい街だった。

翌日、アタカマ砂漠を超えて、ウユニ塩湖へ行こうと考えていたので一旦カラマへ行くもやはり物価が高い。。
さらにバスが一週間に数本しかウユニへ抜けていないため、諦めて翌日はアントファガスタへ下ることに。

もうこの辺から気が抜けていたというか、旅がどうでもよくなっていた。


・・・・・


続く


2月22日

早朝、リマに到着。

これがまた長い一日だった。。



リマに到着する少し前くらいから激しい耳の痛みに襲われ、何かものを食べるだけでも耳が圧迫されるような

感じがして、これはまじで病院行きを覚悟しましたね(笑)


で、預けてあったEOS 7Dを受け取りに行くために10時まで時間つぶし。。


まあ特に行くところもないので8時くらいまではバスターミナルでぼーーっとしてたら、たまたま斉藤さん(リマに出張中のカメラマン)に再会!!

喜びのあまり大きな声で話していたら、近くにいた日系人2世か3世のおじいちゃんに話しかけられ、結局1時間近く話した。


どうも子持ちのシングルマザーを養女として引き取ったとかそんなことを言っていたが、見た目は普通のおじいちゃんだが、ラテンって感じのおっさんだww



朝食がてらとカメラ修理店の近くのマックで朝食を。


久々にwifi使えたので、アレキパに行こうかクスコに行こうか迷いながら情報収集。。


そしていよいよ決戦の時。。


11時ごろ取りに行ったら



「お前が来ることはわかってたがもう2時間待ってくれ。最後の調整をしてるから」



と、13時に取りに来いと言われる。


ふざけるな!!!


さんざん明日、明後日と時間を延ばしておきながら4日もたったのにまだ治ってないとか・・・


まあそんなことでキレても仕方ないので、13時まで待つことに in KFC



約束の時間13時。。


好きな子に告白する前よりも緊張していたと思う。


それにこのとき、彼らが唯一の頼みの綱だったので期待せざるを得なかった。



来店するなり、珍しく店員が控えめな態度でやってきた。。



・・・・・・・・・・・・・・



彼女が口にした言葉は一生忘れないだろう。



「Imposible...」



治らなかった。。いや、治せなかったのだ。



そのあとのことは全く覚えていないが、リマから日本行のフライトを検索したってことだけは覚えてるw


つらかったなあああ!!!・・・・・




15万回シャッター耐久とか言ってるけど、それ以前の問題でしょ?キャノンさんよ。。


帰ったらキャノンに散々文句を言ってやろうと思っていたが、結局、愛機7Dはサンティアゴにて盗難にあい

キャノンに文句を言う術も理由もなくなった。。



あのときカメラが治ってたらきっとクスコに抜け、マチュピチュ行って、ウユニ塩湖も行って、アタカマも見てただろうな~


それにあんなに早い段階でサンティアゴに到着してなかっただろうな~


なんて確かに悔しいことだけど


自分の運に後悔しても仕方がない。人を恨んでも仕方ない。けど、ユーザー(お客)に対するキャノンという組織に思う節は多くある。。



そんなこんなで、気を取り直し、アレキパへ。




続く。


4月11日

ヤンガヌコ湖の後から南米の日記も途絶えていましたが、、
実は昨日急遽予定変更し、帰国しました。

後日続きの日記も書いていこうと思いますが、報告まで。

三月の頭にチリのサンティアゴでサブバッグのリュックを丸ごと盗難に遭い、経済的に旅を続けられなくなり帰国することになりました。

パスポートもカメラもパソコン現金もクレジットカードも本当に全部盗まれてしまい、事件当日はサンティアゴでホームレスをやっていたのですが、リマであった友人が駅でたまたま見つけてくれたおかげで何とかなりました。今思うと奇跡だ。
結局彼の家には一週間以上お世話になった。
寝る場所を提供してもらえるだけでも有り難いことなのに、市内観光にも付き合ってくれて本当に感謝です。

サンティアゴで、スペインで一緒に暮らしていたスペイン人(ダビッド)と合流し、一緒にチリ、アルゼンチンを1ヶ月旅した。


その後は南下しバリローチェからアルゼンチンの旅はスタートし、何度かチリとアルゼンチンを行ったり来たりしながらパタゴニアを南下。最終目的地ウシュアイアへ。


その後ブエノスアイレスまで一気に飛行機で飛び、イグアスを見て日本に帰ってた~

ざっとこんな感じ。


旅の日記はまた少しずつ書いていこうと思います。