前回は茶化してさらりと書いてしまいましたが。
今何かと話題になっている出生前診断。

自分にはもう終わってしまった事…と思いつつ、気になっていたところの同僚の相談にショーゲキ。

書いた通り、
「先生に勧められたから、受けるものだと特に考える余地もなく受ける」
感じで、国が違えば事情も違う事を実感。
(因みに日本で妊婦検診受けると、性別聞けば教えてもらえる事もあるよー。男子なら見えちゃう事もあるしねー。と言う発言には「むむむ。聞きたくてもそれは倫理的に聞けない」とセンシティブな彼。
インドでは女子は結婚の時に多額の持参金を持たせねばならない風習から、老後も同居して面倒を見てくれる男子が好まれる傾向があり、出生前の性別判定は禁じられています。
彼らにとってはそれが「選別」なのかなぁ?)
一定の年齢以上は検査が事実上義務付けられている国もあるらしいし、様々ですね。
私たちが普通に毎週受けるエコーも一種の出生前診断だって言う人もいるし。

受けるか受けないか悩まないでいられる、ってのはある意味楽なのかもしれない。
特にこの場合、大多数は問題なく通り過ぎて行く訳だから。
選択肢があるって、この事に限らず、いいことなんだとは思うけど、自分で考えて選ばなきゃいけないって、大変な事も多いかも。
(結婚にしても、出産にしても。自己責任って重い。)

何だか向き合う勇気なくてさらりと書いてしまいましたが、愛読させていただいてるぴよこせんせいがをこんなエントリを入れておられて。

「出生前診断は胎児への虐待です」

ああ、そうかも。そうかもしれない。この後ろめたさは。

私は第一子は「何があっても運命」と受けませんでしたが、第二子は超高齢でもあり、流産を挟んでいたことと、万が一の事があった場合、ムスコの人生に大きく影響してしまう事を考え、大阪の某有名クリニックで初期胎児ドックと血清マーカーを受けました。

決め手になったのは、夫の一言。
彼は二回の妊娠のいずれも出生前診断、そしてそこから派生する命の選別を希望しました。

「僕はその子に人生の全てを捧げる自信がない。全部の障害を調べられない事は承知している。健常に産まれても病気や事故に合う事はあるだろう。それは受け入れる。
でも僕は分かって避けられるなら避けたい。社会は綺麗事ではないから。息子や育児を手伝ってくれている僕たちの両親に一緒に背負ってくれとは言えない」

彼には年が10ほど下にダウン症の従弟がいます。幸いダウンとしては健康で、兄弟たちもみな結婚し、ご両親はその従弟と穏やかな暮らしを送られています。
それでもやはり大変だと思われる時期は、離れて暮らす彼にも色々聞こえていたようです。

彼の意見は二回(正確には流産も入れて三回とも)一貫していましたが、第一子の時は私が「一人ならそれでも二人で頑張れば育てられる。最悪私一人でも育てることが出来る」と主張し、彼が折れて検査せずそのまま出産。(やはり初めての子なので冷静に考えられなかったこともある。話し合いも若干感情的になることもあった)
第二子の時は、私が彼の主張に納得し(折れた訳ではない)、胎児ドックを受け、結果が良好だったため、そのまま確定診断は受けませんでした。

診断を受ける事は既に選別なので、我が家は選別した結果、運よく悲しい決断をせずにすんだ、ただそれだけです。

それがいいことだとか、悪いことだとか、色んな考え方があるから、言い切れない。
受けた私自身でも胸を張って「出生前検診を受けて何が悪い」と言いきれない。

だから今でも出生前診断のニュースを聞きながら、娘の顔を見てふと背中が冷たくなる事があります。
息子の人生をキープできる範囲で、彼女を選別した…と言う後ろめたさ。
その後ろめたさをずっと持ち続けて、私はそれでも生きて行くんだろうな…と思う。

それでも私が後悔しないでいられるのは、もう一人の親である夫とちゃんと話しあって、どちらが折れる…とかではなく、お互いに「そうだね、そうしよう」と二人で納得して決められたから、と言うのが大きいと思います。

この選択は本当に重い。
それが受けるか受けないか、の時点から。

だから、妊娠•出産、そして、命の問題は、娘だけではなく、息子にも同じように教えるつもり。