ネット空間と無数の神々 | 加納有輝彦

ネット空間と無数の神々

もはやネット空間では、「無数の主観」のみが自己主張しているのみ。

ネット空間では、神々のラッシュアワーとでもいうべき騒乱状態になっている。

そこに沈黙はない。そう湖面に満月を映すような沈黙はない。

小さな神々が跋扈している。誰も見ない。自己主張するのみ。

本来、山川草木、祖父母、父母、兄弟、親戚、風土等々のゆるぎないものに囲まれて我々は謙虚さを用意していた。

従順さ、敬虔さが静かに、しかし確固として存在していた。


 事物、風、薫り、寒暖、明暗、月、太陽・・・、こころと体で感じていた。

 そこには一種の断念が、畏れがあった。

 今、ゆるぎないものが失われ、単なる主観となった。

 師に対する最低限の「礼」すら持てない「自己主張する主観」に私は敬意を表することはできない。

 礼を忘れ
 恩を忘れ
 膨張し肥大する自我がただ存在する。主観のみが、孤立して立っている。


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