まつざわ茂氏の「精神」の余韻 ~魂の衆院鹿児島3区補選~ | 加納有輝彦

まつざわ茂氏の「精神」の余韻 ~魂の衆院鹿児島3区補選~

本年4月、鹿児島市議選が行われました。

 地方議会選挙では、既存の大政党以外は無所属で戦うことが一般的であり、ましてや幸福実現党公認というステータスは、残念ながら現時点ではマイナス(減票)効果こそあれプラス要因(増票)はございません。

にもかかわらずまつざわ茂氏は堂々と幸福実現党公認で戦われたのである。(結果は1356票で落選。最下位当選者得票数3003)

 しかも、氏は鹿児島市役所に35年勤務し、部長職まで歴任された一般的には得票能力の高い方であった。実際、地元からは「無所属」なら応援できるのだが・・・という声は高かったのである。
 
 さらに氏は、今回の鹿児島市議選に合わせて早期退職までされたのである。
なかなかできることではありません。

 幸福実現党の政策をベースにした4つの政策の柱を立てられ、市の発展のために一身を投じられたのであります。

 市のためにというのなら、無所属で当選することを求めるべきでないか、優先すべきでないかという考えもあります。

 ステルス作戦とでも申しましょうか、まずは市議会議員としての身分を得なければ、何もはじまらないという考えは間違っていません。事実、無所属で幸福実現党党員が当選しているケースは多数ございます。

 無所属で市議の身分を得、そして政策を実現していく。この道もあります。それで実際実績を着着とあげておられる方もいます。

 わたし個人的には、不利を承知で党公認で戦う選択、無所属でまずは身分を得る選択、どちらも正しいと思っております。ようは個人の選択の自由です。強制すべき事ではありません。

 この認識を前提とし、

 それでもなお、まつざわ茂氏は党公認での不利な戦いを選択されたのです。しかも、得票能力の高い経歴をお持ちであったまつざわ氏です。

 実は、私の本心は、「まずは身分を得て・・・」という合理的判断は、それが合理的判断であるがゆえに、既成概念を突破する力とはなり得ない、結局は、時代を変えるエネルギーになり得ないと思っております。

 実は、時代を変えるエネルギーは「身分」のなせる業ではない。そんな甘いもんじゃない。
自らの身分を優先するような「凡庸」な判断は、この世に掃いて捨てるほど存在している。

 時代を変える力は、「不合理なれど不利なれど我行かん」という既成概念の外に位置する精神力がなせる業であると思うのです。
 
 その点、確かに時代の捨て石として散っていく「桜花」を多数必要とされるでしょう。

 しかし、それら捨て石の精神の数々が余韻となって、時代精神となっていくのです。

まずは身分を得てという合理的判断の裏には、不利に働く党名を隠すという行為がどうしても存在します。

 この本心を隠すという営みが凡庸なのです。日本人の本音はこれだが、まあ建前はこれという凡庸性を象徴する行為なのです。(このブログでも私は建前を先に述べ、いま本心を語っている。私自身もまだ凡夫の一人です。)

 この凡庸性が、結局、既得権益、既成概念を打破する力にはなれず、結局、自らもそこの住人の一人に成り下がるのです。

 まつざわ茂氏の捨て身は、当選こそされなかったですが、我々に凛とした精神の余韻を残してくださった。この一片の桜花が、やがて大いなる時代精神となっていく、、、そんな確信が私にはあり、まつざわ氏の英断を非常に尊敬していたのです。

 すると、意外にも早く、まつざわ氏の志が、さらなる大きな戦いの場で受け継がれることになりました。

 衆院鹿児島3区補選です。まったく想定外の補選です。誰が現役大臣が、自ら命を絶つと思ったでしょうか。

 いかなる天意か、結果的には、現役大臣の死去により鹿児島県市を含む3区で補欠選挙が行われることになり、明日28日が投票日です。

 そして幸福実現党の公認候補で戦っている、まつざわいさお氏は、まつざわ茂氏の御子息なのであります。

天意を感じます。

 まつざわ茂氏の義戦が、ご子息に引き継がれました。これら義に殉ずる精神が、やがて時代を変革する時代精神になっていくことを信じます。

 明日、投票。健闘を祈ります。

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