人格変貌・・・こんな人ではなかったのに | オバはパチンカス

オバはパチンカス

「何もかも犠牲にしても良い」と思うほど魅力的な遊戯なんですか?

オバが私の手荷物点検後、機嫌が悪くなった数日後、オバと母が電話で話をした。

その頃はもう、普通の会話をしていてもオバは突然キレ出すようになっていたため、母はオバが怒らぬよう、とても穏やかにオバに語りかけた。

「○○(オバ)も、おばあちゃんと四六時中いたら、息が詰まると思うよ。だから、お茶をして帰ってくるのは
いいんだけど、帰って来る時に電話してくれない?」


いつも、「お茶してた」と、夜中に帰宅するオバは、その母の一言で怒りに火がついた。


「そんなこと姉(母)に言われることではないわ! 私がどこに行こうと勝手やんか!」

「いや、そんなことは言ってないでしょ…帰ったときに電話してってい…」

「(祖母の家に)4時5時に来ても意味が無い!」

「そんな時間に行ってな・・・」

「私が居ない時間に来て欲しいのに!!!」 (え?朝から次の日の午前になるまで?)

「私は休日は1日中、ずっと、おばあちゃんと一緒にいるのに!」

オバは、言葉を遮り怒鳴り続けた。

あまりに捲し立ててくるため、母は受話器を置いた。

その受話器を、私が取って話そうとしたが、受話器の向こうから聞こえる、あまりに汚い言葉に固まってしまった。


オバは、一方的に怒鳴り、がなりたてていたため、私が受話器を持っていることに全く気づいていないようだった。


私と母が黙っていたことからクールダウンしたオバは、少し経ち落ち着いてきたため、母に受話器を渡した。


母は会話を元に戻した。

「あなたは『私にそんなこと言われる筋合いは無い』と言うけれど、会社から帰って来る時に電話をするという約束だったじゃない?」

「筋合いなんて言ってないわ!!!」

次は「筋合い」という、母の使った言葉で怒りだした。


オバの怒号は、受話器からもれ聞こえるレベルの声ではなく、一語一句違わず聞き取れるほどの大きさだった。

「そういう趣旨の言葉を使っていたじゃない。別に、遅く帰ってくることを責めているわけでもないし、ただ、電話をかけてと…」

「何よ!筋合いって!筋合いなんていってませぇ~~~ん!筋合いなんて言ってませぇ~~~~ん!!!」

「揚げ足は取らないでっ!今話しているのは…」

「筋合いやって(怒)」


「そういう趣旨の話をし・・・」


「なんなん?筋合いって?筋合いなんていってないんですけど?」

という、反抗期の中学生女子のような会話が続き・・・ただ「帰って来るときに連絡をして欲しい」というかつての約束について、自己を正当化する方法の無いオバは、また

「4時5時に来ても意味が無い!」

と、再び怒鳴り出した。

私と母は、毎日、午前中から遅くなっても正午までに、祖母の家に到着。家事の一切をこなしていた。

祖父が亡くなった後、祖母のための事務手続きに追われたため、2回、午後2時を過ぎることはあった。しかし、まさかのまさか、午後4時5時になったことなんて一度も無かった。(そもそも、遅くなっても、オバに怒鳴られることではないのだが。)

仕事に時間がかかりそうな時は、必ず祖母も一緒にその場に連れて行っていた。

しかし、祖母は自分の事務手続きをしていることを認識していないことがあり、”遅くまで待たされた”と不機嫌になる時もあったので、それをオバに話しているのかもしれない。


しかし、同居のオバには手続きの度に詳細を報告していたため、オバは当時、日々の私たちの動きを把握しており、 オバの意味不明な言葉は、私たちの仕事を全く認めていないか、ただ因縁をつけている他なかった。




オバを無理やり庇うとすれば、


日頃聞いてること、

自分が毎日見ていること、

私たちがオバに報告している仕事や

自分が午前中に祖母に電話してきていること


すべてを完全に忘れた…と常識では考えられない理解をすること以外無理だった。


祖母は、当時、祖父が亡くなったストレスから、とてもワガママになっていた。脳梗塞の前兆だったのか、ボーっとしていた。


そして、注意されたり怒られたりすると、必死に言い訳するのだった。

祖母は、食料を買いすぎて、無駄にすることが多いため、母が買い物の注意をすると、(オバの休日以外)1日も欠かすことなく通っていた私達に、

「だって、あんたたちが来るかわからないもん・・・」

「あれ(オバ)に食べさせないといけないもん。」


など、色々な理由を作っては買い物の必要性を訴えた。


「4時5時にしか・・・」というのも、オバに買い物について怒られた時の祖母の言い訳なのかもしれないと会話中に解釈した母は、


「きっと、おばあちゃんの言うことで、行き違いや思い違いがお互いにあると思うから、これからは直接連絡しよう」

「私達は、家の人(父)の食事の支度もあるから、朝に来て夜中までいるわけにはいかないから…」


と母が言うと、

「これからは、残業が無いから、定時に帰るから朝から来て。」

とオバ。互いに約束をし、最後はお互い穏やかに電話を切った。

それから、毎日、朝早くに祖母の家に行くようになった。
しかし、オバは、話をした次の日も、帰りは夜中。
その次の日も夜中…
その次の日も…

約束は何処へやら、オバは、毎日夜中に帰ってきた。

それでも、オバとの約束を守り、午前から、次の日の午前まで13時間から15時間、祖母の家で過ごす日々・・・


初日から約束を破られたため、次の日から早朝に父の夕食を用意し、家の家事までこなし、朝に祖母の家へ・・・普通以上に早く起きなければいけなくなった。しかし、初日だけではなく、それからオバが約束を守ることは1度も無かった。


毎日、移動時間を入れて、15時間から17時間近く拘束される日々・・・

こんな無理した生活を続ける訳にいかず、数週間後、オバに見切りをつけた私たちは家の仕事を朝に済ませて、午前中に家をでて正午過ぎに祖母の家につくという少し余裕を持った生活へと切り替えた。


そんなある日の休日の午前中、

「オバが朝から出かけたから家に来て欲しい」

夜まで帰ってこないから家に来てと祖母からの電話。


祖母の家に行くと、不機嫌なオバがタバコの臭いをプンプンさせてイラついた様子で帰ってきたところを
建物の下で鉢合わせた。話かけると、

「4時5時に来ても意味が無い!」

解決したはずの問題を再び持ち出し、怒鳴りだした。


突然、前日や当日に休日出勤が入ることが多かったオバ。


「自分は休みの日は一日中おばあちゃんといるのに!!!」


オバは言っていたが、休みでも、従妹や従妹の娘が来ないときは、頻繁に一人で外出をしていた。そして、1日中一緒に居るはずの祖母は、オバが出て行くたびに私たちを呼び出していた。


今日は住宅の前で鉢合わせたのがバツが悪かったのだろう。オバは動きを知られてしまったことに苛立ちを感じているようだった。


「4時5時にきても意味がない!!!!」


と怒り続けていた。


もう、オバが、どういうつもりでも、どうでもよかった。

「意味が無い・・・・」

まだその言葉を繰り返すオバに、もう何も言えなかった。

祖母の家で毎日をすごし、オバと祖母の家事をほぼ全てこなし、自分の家には寝に帰るくらいの生活でを続けていた私たちの全てを否定された気がした。

そして、私たちを呼び出した全てを知っているはずの祖母も何故か

「もう、来ないでいい!」


オバと話した後、なぜか怒り出した。もう、限界だった…。


精神が追い詰められた私達は「こんな生活、もうやめよう」と決意した。



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