とりとめなさすぎ日記 | Kono Mama no Uta.

 

9月はいろいろおさらいの時期みたいなので、頭のなかもあっちゃこちゃ飛んでますので

もう感覚追従でよくわかんない日記書くけど

いつものことだから気にしない人だけが読んでくれてるよねきっと。

 

 

 

私の名前はあきこで、亜樹子って書きます。

 

子どもは生まれる前から自分の名前決めて生まれてくるって

聞いたことがあるけど、さいきん、そうなんかもなーと思うようなってきた。

 

わたしは植物の名前もろくに覚えていないし詳しくないけれど、

ここ数年、ここぞというときに自分を助けたり導いてくれるものって、いつも樹だったから。

 

 

 

千葉市に住んでいたときに助けてくれた樹たち

 

 

 

朝起きたときと外に出たときと帰ってきたときに挨拶してたプラタナス。

友達がうちにきたとき普段そういうこと口にしない人だけど、

この木すごくまるちゃんを守ってくれてるね、って言ってた。

日照問題とかで枝を一度切られてしまったけど、めげずにまた葉っぱをたくさん茂らせてた。

 

 

 

 

大好きだった近所のもみじ

やさしくて、きついときにこの木にもたれて助けてもらってた。

詩集を作ったとき、このもみじを表紙にした。

 

 

 

 

 

子どもが小さいころいつもこの下で遊んでいた。うちのすぐそばの公園の欅。

烏がよく巣を作ってた。

 

 

 

 

 

枇杷。実がなると明かりが灯ったみたいに見えて、やさしい色合いに内側がゆるんだ。

種を拾っていると、近所の子どもたちや掃除のおばちゃんが手伝ってくれた。

春には種を、冬には葉っぱをもらって焼酎漬けにさせてもらったものは、

引っ越してきたこっちでも虫刺され薬として、家族みんなで重宝してる。

 

 

 

 

 

近くの森によく通った。森の入り口にある桜の大木。やまたのおろちみたいに分かれてて

まるまる一本を写真の中に収めることができないくらい大きい。

 

 

 

 

幹も枝も美しかった。

 

 

 

 

写真を探しても見つからなくなってしまったけど、

他にも、団地の角の山桜、バス停に行くまでの道にコブシ、

洗濯ものを干すときにベランダから挨拶してた山法師。

 

人間みたいな言葉を交わすのではないけれど、感覚を交わす仲良しの木たちがいて、

木たちも木同士で離れたところでも通信しているように思った。

 

 

 

最近、しばちゃんに借りてアナスタシアを読み返したら、

同じことが書いてあったので、やっぱりなーって思った。

 

 

 

 

この本初めて読んだときは、共感できるところはあるにしても

自分とはかけ離れた遠い世界のファンタジーのように思えたんだけど

今読んでると、あれ、なんかわかるなあこれ?って部分も多くてびっくりする。

 

この本を読んですぐ、何も言ってないのになぜかシベリア杉のスプーンを友達がくれて、

シベリアンシダーのオイルも別の友達からもらった。

 

それからしばらくして、しばちゃんけんたくんに初めて会うとき、

お山の仕事の人だからってそのオイルをお土産に小分けして持っていったら、

2人ともシベリア杉の木片を首にかけていた。

 

それから2回くらいしか会ってないのに一緒に住んで、家族になった。

来月はみんなでダーチャプロジェクトの農園を見学に行こうかって言ってる。

 

不思議なようで必然の流れなのかな、って思うこと、いっぱいあった。

見る人によって、ただの気のせいだろうとか、だいじょうぶ?って言われそうなお話。

 

 

 

去年、不思議な出会いがあって、

成り行きで自分のやってきたことやしがみついてる思いを

何もかも捨てて自分を真っ白にしなきゃいけないような状況になって、

手放して手放して

捨てて捨てて、

空白をゆるしてゆるして、

今までやってきたことをすべて無に帰しておうちでひたすらぼーっとしてる時期があった。

 

身体の感覚がついていかなくて、物質的なものや動作が欲しくて、

千葉に来て辞めてたタバコもまた吸うようになって

ベランダでぷかぷかふかしながら呆けていて、若干、廃人かしら?って思ったけど

 

それでもからだ奮い立たせて色々やる、って気にもなれなかったので、

ひたすらそんな自分にどこまでもつきあってゆるしていった。

 

そしたら、春分の日に自分の中にすごくきれいな光を見つけた。

というか、到達した、触れた、やっと逢えた、ってかんじだった。

 

 

それは、このときに感じた光と同じで、これが自分の中にあったんだ、って

感動して、なぜかレンタルDVD返しにいってるときだったので、

もう大丈夫だ、わたしは大丈夫なんだ、

それにこれは誰しもみんなの中にもあるものだから、結局みんな大丈夫なんだ!って

チャリ漕ぎながら泣いて帰った。

 

 

えっとそれからなんだったっけ

 

わたし、何が書きたかったのかな

 

そろそろアイス買い食いしにいかなきゃだから

続きはまた後で書くかわからない。

 

 

確かその時返しに行ってたDVDがこれだったなあ

えぐい映画だったけどすごい木がたくさん映ってた。

シャーマニズムとアンダーグラウンドと在日韓国人って

わたしがまさに通ってきたとこ総括したような内容だった。

 

あきこの亜の字は、韓国人のおじいちゃんがつけてくれたんだ。

わたしには血のつながらない魂の家族がずっといるんだ。