Kono Mama no Uta.

   


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朝起きたら、雪がちみっと積もってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

お庭のすみっこのたんぽぽの葉っぱにのった

 

小さな露の光がきれい。

 

 

 

 

 

 

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わたしの身体は、だいたい自分の想像越えたことをしでかしてくれよります。

 

何でそっちいくの?みたいな方向に気づけば突っ込んでったり、

 

動きたいのに地縛霊かよと思うほど微動だにしなかったり、

 

よくわからない症状出たり

 

びっくりするようなこと口をついて出たり、

 

たいがい自分で考えた「うまくいく方向、丸く収まる方向」

 

には行かないし、世間一般の常識で対応できないし、

 

逆にそういうもんを根こそぎ台無しにしてしまうことがある。

 

 

 

ていうか自分の自然体がほとんど台無し方向なので風あたりきつくて、

 

本人にも説明がつかないから小さいときから自分の取り扱いに困って来た。

 

言語での説明はだいたい後付けの言い訳みたいなもんで

 

今書いてるこれもたぶんそうでしょね。

 

 

 

ここ数日も全身に響きがあって変な感じで

 

やることがあるのに興味もなかったDVDに身体が反応して

 

わざわざ借りてこれから見ないといけないみたいで、

 

その後読まないといけない本もあるみたいだから見る。

 

予定とかあまりに立たないから、もうスケジュール帳書くのあきらめて

 

いつどこにいるとか、本人もよくわからない。

 

 

 

オカルトチックに何かに動かされているようで、

 

結局これがほんまのわたしなんやなあ思う。

 

ほんまのわたしが行きたいとこにしか行けなくて、やりたいことしかできないんやけど

 

ほんまのわたしって、自分が思う常に斜め上に、

 

平気で自分の枠を壊して行きよるのでびびる。

 

 

 

この動きを自分から乖離させてなんとかからのお告げとか言い出したら

 

うまくやったらスピリチュアル分野で金儲け、

 

その反対なら除霊対象、幻覚妄想、愛着障害、精神疾患、やろけど

 

それも自分で好きなように選べる物語で、はまればある程度、

 

苦痛も含めて経験として楽しいと思う。

 

でもわたしそれらはいまいちしっくりこなかったし、趣味じゃないので

 

くくられてしまわない区切りようのない

 

意味不明なわたしであり続けて、そんな自分を引き受け続けたろ、て思う。

 

 

 

誰にもわかってもらえないことより、

 

自分が自分をわからない、って自分を恐れたり、

 

罪だと思うときに孤独や絶望を感じる。

 

あるがままに名前をつけたとたん、あるがままじゃなくなる。

 

わからないわたしにどこまでもついてってあげよ。

 

それがわたしなんやって、歓迎したげよ。

 

自分のわからない部分を見えるものや見えないものに引き受けさせて

 

あがめたり怖がったりすがったり責めるのも趣味じゃない。

 

 

 

 

って回りくどい、

 

要はガタガタ言わずにやりたいようにやろ、

 

既存のものを台無しにしちゃうなら自分で創ればいいし、

 

ってことだけど

 

人として言葉に縛られて来た分、

 

言葉で解体するのは、趣味みたい。

 

 

 

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たしかに世界は

 

見ようによってはむちゃくちゃでした

 

要るんか要らんのかわからんような

 

どうでもいいしょうもないもんばっかで

 

腹立つことばっか

 

幼稚でぶっさいくで

 

やたら細かいことにだけクソ真面目で

 

肝心のとこはダダ洩れ

 

無理多すぎ

 

きしょくわるい

 

嘘くさい

 

めんどくさい

 

ああくさいくさい

 

アホちゃうか

 

アホちゃうか

 

アホちゃうかって

 

わたし 

 

いちいち怒ってみたり 

 

闘ってみたり

 

吠えてみたり

 

えらそばって賛同求めたり

 

怒ってないふりしてすましてみたり

 

冷えきったり いじけたり 

 

腐ったり 拗ねたり 

 

やさぐれたり 飲んだくれたり

 

シカトしたり そっぽむいたり

 

手を替え品を替えでダダをこねても

 

結局なんも変わらんから余計がっかりするだけやった

 

 

でもそんな残念なもんたちって 

 

きっと

 

かつてのわたしやったり

 

いまのわたしやったり

 

これからのわたしやったり

 

わたしはわたしのこと自分で見えへんから

 

何かを通して見してもろてるだけで

 

わたしはわたしのこと自分できりはなされへんから

 

うっとおしいくらいにつながって見えて

 

カンにさわりまくってるだけで

 

実のとこいちばん残念なんは わ・た・し やというその構図は

 

気づいてみると

 

ショックで顔面蒼白かと言えば

 

べつにそうでもなくて

 

たいしたことやない

 

なかなか笑えるおもろいもんで

 

どこにも罪がありませんでした

 

罪なんかどこにも誰にも

 

ちっともみじんもなかった

 

まあたいがい愛らしいもんでしたわ

 

それだけで済むような話

 

 

せやからこれからも

 

自分からかけ離れてしもてるように見える

 

ぎょっとするようなもんにも

 

はじめは多少むかつきながらでも

 

そのうちまるっと芯から笑えたらええなあっておもいます

 

ほんまはそのかけ離れたように感じる部分こそが

 

切り離したいわたし自身やってことを知って

 

受け入れて笑えたらええなあって

 

たまに忘れつつもわたし自身にお祈りしときます

 

それを叶えたげられるんは

 

ほかの誰でもない

 

わたししかおらんから

 

そんで

 

忘れんぼでいちゃもんつけのこんなわたしこそが

 

わたしにとって

 

どうにも愛らしいもんなんやってこと

 

愛して愛してやまないもんなんやってこと

 

やっとわかってきたから

 

救いようがなかった世界に

 

ほんまは救い満載なんがわかって

 

安心してるんです

 

わたしは自分が好きなんです

 

誰より何より大好きなんです

 

それに気づけば気づくほど

 

同じだけみんな大好きなんに気づくんです

 

どうかわたしがこれらのこと

 

忘れてしまいませんように

 

わたしってほんま忘れっぽいから

 

忘れへんようにこうやってここに書いときます

 

わたしが忘れてしもてるときでも

 

誰かが忘れへんかったら

 

わたしもそのうち思い出すから大丈夫やからね

 

文字があってよかったわ。

 

 

 

 

 

 

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スマホに入ってた写真整理第二弾

玄関先で出会った生き物たち

 

 

庭に出て空や山を見ながらぼーっとアメスピ吸うのが趣味ですが

そうしてる数分の間に、だいたい何かしらの生き物があらわれます。

 

 

一般的に可愛い順から

 

 

 

 

 

おとなりの放し飼い猫ちゃんたち

 

 

 

 

 

子猫が産まれて遊びにきた。

でも血縁内で繁殖していて体が強くないそうで、みんな華奢で目が悪かったりする。

子猫は夏の暑さに耐えきれず亡くなってしまったらしい。

 

 

 

 

 

 

玄関開けてると、侵入してくる。

 

 

 

 

 

人んちの庭で、よその集落から来た猫と縄張り争い。

2日に渡って長時間やってた。

今日洗濯物干してたら黒白猫ちゃんが顔に傷作って疲れた顔してた。

おつかれさん、猫の世界て大変やな。

 

 

 

 

 

 

 

 

↓↓※以下、クモ、カエル、ヘビ、ゴキブリ、

謎の虫などが占めてるので苦手な人は見ないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜になると外灯の下の虫狙いで来る、ひきがえるのひっちゃん。

長い舌でダンゴムシを捕らえて食べる。

自分の顔より大きい蜘蛛を捕らえてた。足が嫌いなのか、食べ残してた。

よちよち歩きがとってもかわいい。

一度見えなくて外に出たときちょっと蹴ってしまって平謝りした。

大丈夫かと思ったけどその後も元気に常駐してた。

 

 

 

 

 

ひっちゃんより一回りちいさいひっちゃん2号。

最近見なくて冬眠かと思ってたら、やたら暖かかった昨日、出てきてた。

話しかけると、よちよち這って玄関の箒の陰にかくれる。

 

 

 

 

 

 

足を二本ずつ束ねてるから4本足に見える黄金蜘蛛。

巣もばってんになってて、変わってる。

 

 

 

 

 

おんぶばった、なつかしい。

 

 

 

 

 

コウガイビル。血は吸わないでうねうねしてるだけ。

プラナリアみたいに切断すると2匹に増えるらしい。

 

 

 

 

 

かわいいまっくろヤモリくん

 

 

 

 

 

ガサガサ音がするから蛇かと思ったら、大きな芋虫くんやった。

ベニスズメガの幼虫らしい。

 

危機が迫ると顔膨らましてこんなになって

http://karapaia.com/archives/52063766.html

蛇に擬態するらしいけど、話しかけても無視された。

 

 

 

 

 

この蛾はなんていうのかな。

 

 

 

 

 

 

玄関開けた途端ヤマカガシにも遭遇したけど、めっちゃびびりらしく

すごい勢いで逃げてった。毒あるんだよね。

 

 

 

 

 

蟻の戦争。小さい蟻が何匹がかりかで大きい蟻を倒してた。

何があったのか。

 

 

 

 

 

 

下に川が流れてるから、蟹さんもよく来る。

このこは、お腹に子蟹をいぱいつけてるお母さんらしかった。

 

 

 

 

 

こんなのブログに載せるのどうかと思うけど

おうちの中でアシダカグモがゴキブリを捕らえた決定的瞬間、というか

捕らえてから数時間動かなかった。食べるの大変なんか。

このでっかい蜘蛛、家にやたらと居て、このこたちもびびりなので

人が来るとささーっと逃げる。冬になったらいなくなった。

ゴキブリとかハエとかネズミを捕って、殺菌までしてくれるらしい。

 

 

 

 

 

 

クロアゲハもたくさん見た。

 

 

 

 

君津の大鷲でも、いろんなこたちがいた。

 

 

 

 

このバッタさんはやたらと人の顔を見てじっとしていた。

 

 

 

 

 

蜂蜜の巣箱の上のかまきりくん、人に囲まれて戸惑ってた。

 

 

 

 

 

日本蜜蜂さんは、巣を開けられても大人しくてすごいなと思った。

 

 

 

 

 

大鷲には、にゃんこもわんこもたくさんいて、かわいかった。

 

 

 

 

 

とっても良い食生活をしてるので、まるまるしてはる。

 

 

 

 

 

帰りのコンビニの窓にかえるさんいっぱい。

 

 

 

 

 

・・そいでもって最後。

今年いちばんなんじゃこりゃ!?と思った生物は

鴨川の金束の山で見た、このこ。

 

 

 

 

 

 

この白いもけもけ、なんでしょう。はじめ、毛玉のゴミかと思った。

 

 

 

・・が、動き出してびっくり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶんクサカゲロウの幼虫でゴミとか虫の死骸背負ってカモフラしてるらしいのだけど

このこのゴミは真っ白ふわふわであまりに見た目が可愛いので、

周りにいた女の人もキャーキャーいうてた。

クサカゲロウの中でもかなりのおしゃれ系だと思う。

 

 

他にもいっぱいいたけど、ムカデとかマムシとかは撮ってる場合じゃなかったり。

ぶんぶん飛ぶ系もあんまりスマホで撮れないな。

 

 

 

 

 

 

 

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今年はいろいろあって、引きこもりの1年だった。と思ったけど

スマホの写真を見ていたら、外で撮ったのがけっこうあった。

 

出不精なのに意外だ。

で、圧倒的に人よりも景色ばっかり撮ってるので、わたし、人嫌いかもしれない。

 

今年見た景色ダイジェスト

 

冬。

 

 

 

千葉市椿森コムナさんの銀杏のツリーハウス。

ホームスクールの活動でお世話になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆうくんの合気道待ちの間、公園の木や花をよくぼーっとみてた。

 

 

 

 

 

稲毛オープンスタジオ、ウクレレやホームスクール活動、

いろんなイベントでお世話になった。

 

 

 

 

横浜のおともだちんち。駅の昭和ローカルっぷりがツボだった。

 

 

 

 

つくばに米川幸余さんのピアノを聞きに行ったのに、なぜかこんな写真を撮って帰る。

 

 

 

 

春。

 

 

 

 

 

団地の近くの森によく通って書き物してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チャリでよくお外走り回ってた。

 

 

 

 

 

茨木稲敷の大野さんの田植え祭

田植え祭なのに人がいないところを撮ってるし・・

帰りにどこかの不思議な私設神社に行ったら、

管理してる人に、自分が買い取るから管理しないかって言われて戸惑って帰ってきた。

 

 

 

 

 

ホームスクールの活動、千葉公園にもよく通った。

引っ越し前の最後の集まり参加のとき、蓮がきれいだった。

 

 

 

夏。

 

 

 

南房総に引っ越し。通りがかりの君津あたりで。

 

 

 

 

おうちの裏山に清流が流れていて、お水が飲めるのがうれしかった。

 

 

 

 

 

引っ越しで疲れたから、とりあえず家の前でシャボン玉振り回す。

 

 

 

 

鴨川が近くて、田んぼのお手伝い

 

 

 

 

みんなでだらだら草取り楽しかった。

田植えの時期、ちょっと遅すぎたみたい。

 

 

 

 

 

夏の千枚田

 

 

 

 

 

 

近所の神社の木がなんかすごかった。けんたくんのスマホが一時電波障害に。

 

 

 

 

 

君津大鷲の森。はちみつ食べたり草取りしたり、

地主さんの集まるお盆の江戸時代から伝わる大事な伝統統行事にも参加させてもらって、

大きな数珠を回した。

部外者なのになんて寛容な。とびっくりした。

 

 

 

 

 

うちから海が近いから、しあわせ。

 

 

 

 

 

千葉市のお祭りのお手伝い。ドイツ語の歌、意味はわからないけれど、

すてき。絵もすてき。

 

 

 

 

 

帰り道のバスの車窓。

 

 

 

 

鴨川駅。トミカのプラレールの模型みたい。

 

 

 

 

上野駅。親子でまた幸余さんのピアノを聴きにいった。ファンなのにさ、撮ろうよ、写真。

鴨川でも色々音楽が聞けたなあ。

盆踊りが生演奏で楽しかった。

 

 

 

 

秋。

 

 

 

山の幸いっぱい

 

 

 

 

家族で映画を見に行くのに車で1時間。車窓から見えるうろこ雲がきれいだった。

 

 

 

 

 

土気のダーチャ村。小さいころから学びたかったこと、教えてもらえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲毛のアートむすび市で演奏。前の夜は霧が出ててきれいやった。

 

 

 

 

 

当日は雨。演奏前、ゆるキャラと絡む話が出てたのに、いざ演奏しだすと

みんな無視して好きにやってしまって出る幕なかったような。

 

 

 

 

 

 

 

 

千葉や都内に出た帰り、バス停からやたら歩くので写真を撮りながら歩いてたら

よく声をかけられて、犬の散歩をしているおばちゃんと一緒に夕焼けを見たり、

暗くなるからと心配されて自宅まで車で送ってもらったりした。

親切な方ばっかり。

 

 

 

 

親族旅行で箱根。

日本画専門の美術館のお庭が素敵やった。

 

 

 

 

 

小田原城の松

 

 

 

 

 

埼玉のアートむすび市で演奏。たしか稲毛のゆるキャラと一緒に行ったはずなのに

また絡まなかったけど、他のバンドの方やPAの方やお客さんは参加してくれてよかった。

 

 

冬。

 

 

 

近くの牧場で、日本の酪農発祥だという房総の酪農の歴史講演を家族で聞きに行く。

まじめに講演を聞いて、様々な展示を見て、牧場のデザートを食べて、

撮ったのはやぎさんのみ。萱をめっちゃ食べてた。

 

 

 

 

 

家で古着を解体して裁縫しだして、アイヌの伝統刺繍を習いたくなって

都内に。久々に行くと、都会にあるもんて、四角っ!ってびっくりする。

肝心の刺繍の写真、なし。

 

 

 

 

 

田中真理さんのジャズのライブに家族で行って、すごくよかったのに、

この写真しか残ってない。

 

 

 

 

わたしの人生覆した場所な気がするけど、窓しか撮ってない。

 

 

 

 

 

 

皇居、勤労奉仕。中で写真撮れないから、外で。

 

 

 

 

何百人の人と会って、たくさん人とお話したのに、この二枚しか撮ってない。

 

 

 

 

 

表参道寄って帰る。

 

 

 

きのう。冬の千枚田。

 

 

 

 

くうきがおいしい。

 

 

景色の写真以外は、山や庭で見た生き物と、食べ物ばっかりだったな。

 

 

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わたしの実家は大阪の河内長野市の南端のほうにあります。

和歌山、奈良寄りの山が多い地域の住宅地でお店も少なく、

大阪市内の友達に「なんもない田舎やなあ」と言われるようなところでした。

 

 

なんもないので小さい頃から山や川でよく遊んでいて、

田んぼでカブトエビを取ったり、クローバーやつくしやどんぐりを集め、

中学時代にはみんなで部活を抜け出して山でみかんを拾って食べ、

猪を飼っている家を見に行って道に迷い、一山越えて駅に出て電車で帰ったり、

池にはまって靴がどろどろになったり・・

外遊びの思い出が多く、自然豊かなところで育ったな、という意識でいました。

 

 

でも大人になった今、わたしが日常的に遊んでいた環境が

本来の自然のすがたというわけでもなかったんだな、と知った。

 

 

いちばんよく遊んでいた山は人工林で、植林されて育った杉が高くひしめき、

鬱蒼として光があまり入らず、木苺ひとつ見つけては大喜び。

笹船を流して遊んでいた川はところどころ岸辺がコンクリートで固められ、

下水が流され、水の流れをせき止めたダムでバーベキューをしていた。

 

 

もちろんもっと奥に足を運べば人の手つかずの清流も広葉樹もあったし、

家族旅行ではよく和歌山の深い山あいの渓流、

熊野の大自然の中へ連れていってもらったけれど

わたしが放課後に徒歩で出かけて行ける範囲の自然はそんな在りようで、

それがわたしの「自然」の記憶、原風景になっていた。

 

 

小学校の校歌の出だしが

「山削り 谷を埋めて 築きたる」から始まり、

「丘高くそびゆる学舎」と誇らしげなのもなんだかな、と思っていた。

 

 

山裾に広がる住宅地に農家は少なく、大阪の中心方面に勤めている人たちが多かった。

うちはおばあちゃんが九州の田舎出身の人だったので

昔の農家のように大人数で普通の一軒家に住み、

家の前の空き地で犬や鶏を飼ったり、野菜や果物を植えて季節のものを食べたり

お正月には餅つきをしたりで、周りから見るとちょっと変わった家だった。

今ではその空き地には家や病院が建っている。

 

 

今年の夏から房総の古いおうちで山の仕事をする人達と

シェアハウスをするようになって、

子どものころの続き、拡大版をやってるように思う。

 

 

みんなで清流で遊び、お水を汲んで飲み、

植物が多様で豊かなお山から薬草や食べられるものをもらい、

庭に生えてる草を調理して食べ、木苺の大きな群落に喜んで。

 

残ってくれていて、ありがとう。

 

 

でも、今住んでいる南房総市は10年以内に消滅、と言われるほど人も少なく、

隣の鴨川市は20年以内と言われているらしい。

若い人は街に出る。

遠くに大きいスーパーがひとつできると、近くの個人商店が何軒も潰れる。

人手が足りなくて管理できない土地や山、家がたくさん。

植林放置の山は荒れて危険なものになっていく。

土砂崩れが起こればコンクリートで固め、水や空気の流れが遮断されて

また別の場所が崩れ、また固めるの繰り返し。

 

 

それを見て人は自然は怖いもの、危ないものと思うけれど

彼らだって苦しんでいるんだ、と高田造園の高田さんがおっしゃっていた。

人間が奢ることなく、コントロールしようとするのでなく、

感覚を澄ませて自然と対話し、共生していく姿勢になれば

自然は恵みをたくさんくれるし、やさしいすがたを見せてくれる。

 

 

そんなやさしいすがた、に去年から少しずつ触れてきた。

市原の里山や、たまにお手伝いに行く君津の大鷲の森。

土気の高田造園さんのダーチャフィールド。

 

 

鴨川のゆうぎづかでは森の蘇り、きらめ樹のワークショップで

女性や子どもでも山に入って安全に間伐ができるのを知った。

業者に頼むのではなく自分たちの手で暗い森に光を入れ、

多様な生態系を復活させていくことができる、森の蘇り。

間伐した自国の木を使って家を建てることができるということ。

 

 

日本は森林率が世界で指折り3本に入るのにも関わらず木材自給率は極めて低く、

他国の森を片っ端から乱伐し、その土地に住む人たちの昔からの暮らしの在り方を

環境ごと悲しい方へと変えてしまっていることも。

それを私を含むほとんどの日本人が知らないまま

他国から輸入した薬漬けの安価な木材を大量消費し、

無自覚のうちに周りと自分自身をも痛めているということ。

 

 

あほなことしててんねんな、日本もじぶんも。と思いながら

月曜からご縁あって勤労奉仕に参加させてもらって、

普段は一般公開されていない皇居の中に広がる自然を身をもって体験できた。

昭和天皇が武蔵野の原生林を残そうと、

人が手をかけすぎることなく放置しすぎることなく、寄り添い守った樹木たち。

芝生だったところに植樹形成された雑木林。

 

 

庭園の紅葉も銀杏も竹もどれも色が鮮烈で見惚れた。

お祈りに満ちた空気の中に生きているからか

木ってここまで光ってたかなあ?と思うくらい、生気が凄かった。

 

 

都心の日本の中枢にこんな植物たちが居てくれてるんやったら

この国も捨てたもんやないんかなと思った。

 

 

松の木があんまり美しくてやさしい風情で、休憩の間、そこから離れられなかった。

庭師の方がまるで毛がふさふさの犬を可愛がるようにやさしく松の手入れをしていて、

木も喜んで信頼し、身体を委ねているように見えた。

ほんとうに愛されているからこんなにやさしいすがたなのかな、

これが日本人の自然との関わり方、ひな型でお手本であって、

日本中がこうなったら天国やろな、と思った。

 

 

街に住んでいるとき自然の中で暮らしたい、と思っていたのが叶って房総に来たけれど

その「自然」のイメージが今どんどん刷新されていってる。

 

人間が壊してしまったものはもう元には戻らない、ってことはない、

今ならまだ道はあるんだと色んな方々が教えてくれるのが幸い。今、なら。

 

 

 

 

 

きらめ樹の皮むき間伐。めちゃくちゃ楽しかった。↓

 

 

 

 

 

きらめ樹の大西さんは、今からの数年で(4年やったか5年やったかは忘れてしもた)

日本の森林の行く末が決まるとおっしゃっていた。

 

 

ほなわたしは、何ができるかな。

日本の森林を救いたい!ってんじゃなくて、

この日本で美しい森林に住みたい。が根っこにある。

都内から高速バスで家に帰るとき、街を抜けた先

開けた空と房総の山が見えて来ると、細胞から震えて喜んでいるような感覚がいつもある。

恐ろしいほど知識はなく、植物の名前もろくに知らないし覚えられないけれど

身体がただただほっとするから、そこにいたい。

 

 

勤労奉仕でも、森や木や自然のことに携わる方々にたくさん会えてお話できて嬉しかった。

いつになくいろんなところに行って、いろんなことを感じた1年だった。

 

 

今年はもうお話や詩を書いて終わりそう。来年もたのしみ。

実家の近所でへんぷ麻の衣服を作っている方にも会えたし、

大阪の山も久々に散歩しにいきたいな。

 

 

 

 

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ほうら やっぱりあなたはみにくかった


ほうら やっぱりあなたはひとりぼっちで


ほうら やっぱりあなたはみじめ


いわんこっちゃない 


だからいうことをききなさい




ほうら やっぱりあなたはうつくしかった


ほうら やっぱりあなたはあいされていた


ほうら やっぱりあなたはしあわせだ


わかりきってること


だからそのままでいればいい




わたしたちどっちをしんじてきて


どっちがここちよかったろう


きっとどっちでも


ときはながれて


たえずなにかはおきる


そのたびゆれて


どちらのこえもきくだろう




きっとしぬときにゃ とんとんで


ゼロのまあるいわにつながって


またくるくるの はじめから


ほしがそうやってめぐるそら


そのなかにいるわたしたち


ほしのかずさえふえればへって


またくるくるの はじめから


とほうもなくつづくゆめは


さめてもさめてもまだつづく


ゆめみるわたしたちがいるかぎり


たとえみるのをやめたって


それをわたしたちまだみてる


そのえいえんをどうおもう




ほうら やっぱりこれはじごく


ごうら やっぱりこれはてんごく


どっちがいいの わたしたち


きっとどうだって いいんだよ


どっちにしたって いかれてる


こんないかれっぷり あなたはどう


すきもきらいも いいんだよ


かみさまがしらばっくれてるかわりに


いつだってわたしたちがきめたやつを


かみのさばきだってはなすんだから


ないものまつりあげてるひまがあるなら


じぶんをいわうか のろうかしたって


まあどっちにしろ おなじことさ




だんだんわかんなくなってきただろ


わかんなくっていいんだよ


みんなわからなくってやってる


それをいきてるっていうのかもしれない


それで いきてきて どうだった?


ほうら やっぱり どうだった?


なんていっておわろうか


きょうとあすのおもいがちがっても


それでもいいなんてね


ざんこくっていわれても


やさしいっていわれても


このそらは きにせずまわるから


どうしようもないときは


てんさいばかぼんでも よんでみな


はなげがあんなにでてたって 


まわりつづける ありがたいせかいを


つくってよんで いきてくのさ。














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寝る前の子どもへの本の読み聞かせ、いまだにたまにやる。

もう一人でマニアックな専門書とか読むようになっているけど

ゆうくんにとってもこの時間はまた別みたいで、

日中あんまりかまってあげられないときはもちろん、

なにかせわしくて寝る前に自分自身が落ち着きたいとき、

明かりを小さくして声を出してゆっくり読む作業がわたしにもちょうどいい。

 

今読んでいるのはこれで

 

 

 

 

 

 

昨日読んでいると、こんな台詞があった。

 

 

「しんぼう強く見守ってやらなきゃとは思うんだけど、ローワンは、わたしとも父親ともちがうし、

活発なアナドともちがうもんだから、なかなかむずかしくてね。

あの子のことは、よくわからないのよ。あの子の父親が生きていてくれたら・・・」

 

 

主人公のローワンの母親が友人にこぼしているのを

ローワンが物陰で耳にしてしまい、誰にもわかってもらえない心苦しさを

ひとり抱えながら眠りにつく、すこし切ない場面。

 

 

読んだあと、ゆうくんに言った。

 

「お母さんもゆうくんのこと、よくわからないんだよ。」

 

ゆうくんは

 

「ええー?」と

 

悲しそうに返事した。

 

 

「わからなくても、わかってもらえなくてさみしい、っていうことはわかるよ。

それは心のどこかでみんなが持っているものだと思うから、

わからなくても一緒にいることも、できるんだよ。

 

ゆうくんはお母さんだけじゃなくて、お父さんとか、おじいちゃんとかおばあちゃんとか、

もっと前のご先祖さまとか、いろんな人の遺伝子が入ったひとつだけの組み合わせで

ゆうくんはゆうくんしかいないでしょ。

だから、お母さんがわかるところもあるけど、わからないとこだってそりゃあるんだよ。

じぶんってのはひとりしかいないから、みんなそうなんだよ。

他のひとにはわからないところがあるの。

お母さんにもあるんだよ。

みんな、自分だけしかわからないってところがあるの。

 

でも、だからってそれをひとりぼっちだと思うんじゃないんだよ。

お母さんがわからないところをわかってくれるひとや、

わからないからこそ喜んでくれるひとがゆうくんにはいるの。

ひとりにぜんぶをわかってもらわなくても、

いろんな自分をすこしずつ、いろんな場所で、

いろんな人とわかりあったりわけあうことができるんだよ。

楽しいよ。だからたくさんいろんなひとと会っていけるんだよ。」

 

 

 

ゆうくんはそこらへんで納得したみたいで寝たけど

こんなの、子どもに引き出してもらった自分へのことばやよなってちょっと笑けた。

 

わたしがゆうくんを通して自分を元気づけてる。

ゆうくん、居るだけで、いい仕事してくれる。

 

 

 

 

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どれだけ世界がわたしを愛して

 

わたしが投げかけたすべてに尽くして応えてくれていようとも

 


 

わたしの内に塗り固められた壁があれば

 

外側に受け取っていようとも

 

芯には届かずに

 

わたしは閉じ込められ出口の見えない場所で

 

永遠にテニスの壁打ちでもしているような

 

孤独感だけをたしかなものとするんだろう

 


 

世界がわたしを愛してやまないのに

 

わたしだけが知らないふりをするのはなぜ

 

どうしてそんなへだたりを作って信じたの

 

 

 

わたし自身を愛するあまり

 

塗り固めてしまおうとしたの?

 

いったいどこまでをわたしだと感じたの

 

たったそれだけのわたしだと見限ったの

 

わたしの小さな認識で

 

わたしを歪めてしまったの

 


 

ねえ

 

わたしというあなた

 

あなたというわたし


 

 

呼びかける名が違っても

 

どうしたっておなじこと

 

どちらにも届けたいなら

 

その宛名はわたしたち

 

わたしたちというすべてに問いかける


 

 

あなたはだれ

 

わたしたちはだれ


 

 

どこまでいつまでがあなた

 

どこまでいつまでががわたし

 

どこまでいつまでわたしたち

 

ちがうふりをして

 

おなじになろうと努力するの 

 

おなじなのに 

 

ちがっているふりをするの


 

 

きっとあいしているとわたしに叫んで

 

こたえるわたしがうれしくて

 

そんなわたしをもうひとりつくったの

 

もっとそのよろこびをふやしたくて

 

何人も何人もふやしたの

 

わかれたんじゃない

 

ふやしたの


 

 

わたしたちはね

 

わたしたちがいることが 

 

うれしかったの

 

わたしたちでいることが

 

うれしかったの


 

 

ひとりのわたしがうれしいから

 

ふたりになればもっとうれしかった

 

もっとふえればもっとうれしかった

 

はじまりのわたしは

 

わたしたちになれて

 

すごくうれしかった

 


 

あんまりうれしすぎて

 

わすれちゃったのかな

 

わたしたち。

 

 

 

 

 

 

 

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うたよみのセッション告知をして、お申込みすぐにいただけてびっくりしています。

数年前から知っている方も多く、

こんな気まぐれでぽつぽつ更新のブログを忘れずに見てもらえていたんだって

ありがたくてありがたくて放心してしまいました。

 

セッションを通して、またあたらしく出会い直しができるようにも思います。

ほんまにありがとうございます。

 

これから順次お返事をして、書いたものを発送させてもらいます。

予約は常に受け付けていますが

今からお申込みいただく方には、お届けは年明けからになりそうです。

 

のんびりペースですがちょうどいいときに、ご縁がつながるの、たのしみにしてます。

 

 

 

「ひらかないわいうた」について

 

ひらがなは、ことばひとつひとつに色んな意味を含めることができ、

多くの可能性に拓けているように感じます。

ひらがなだけで句読点をあえて打たずに書いて、自由な解釈で読んでもらうようにしています。

 

 

どんな感じか、2篇紹介させてもらいます。

 

 

ひとつめは、冬ごろに、ベランダで煙草を吸いながらぼーっとお空見ていたら

雲の動きからビジョンが展開してって、それをことばにしたものです。

 

対になってるので、めおとうた、としました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一篇は、わたしが美容に関して全幅の信頼を寄せていて、

いつも髪を切って染めてもらっているおともだちのまよこさんに、

春ごろに書かせてもらったもの。

まよこさんと近くの森を散歩して、気のあう木を見つけてそこにもたれてもらって、

見えてきた光景をことばにしました。

 

読み返すと、あのときに見たたくさんの色彩やかたちを思い出します。

ことばに込めてるから、これ以上解説できない。読んで感じてもらえたらいいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漢字の言葉も多彩で美しくて好きだし、ひらがなもふんわり奥行があってたのしく、

どんな画材を使って絵を描いていくか、という感じかも知れません。

 

どうぞよろしくです。

 

うたよみ詳細はこちら

 

 

 

 

 

 

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