Kono Mama no Uta.

   


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茨城県稲敷市東町の田植え祭りに行ってきました。

震災後からのご縁。

震災をきっかけに、「どうしたらもっと善くなるかなあ?」

と動いて繋がって広がった縁が気づけばたくさんあって、

何かに直面したときはそうやってけばいいんだ、と学ばせてもらったな、と今書いてて思った。


ブログにここのお米のこと、何度も書いてるけど別に回し者ではなくて

田んぼ、きもちいい。

歓んで楽しんで慈しんで育てられたお米、おいしい。ただそれだけ。



因みにこのブログのヘッダー画像は畔道に咲くコスモス。

収穫祭のときに取った写真を加工したもの。








有機農法とはただ肥料が有機とかそういうことではなく、

有機的な人とのつながりも含めたもっと大きな全体的な流れのことを言うんだ。

と、みんなが喜んでくれるようにと大野さんが畔道に植えたコスモス。

はじめは周りに訝しがられても、続けていたらいつしかみんな

その活動を手伝ってくれるようになったそう。





ホームスクールのボタンに使ってる画像も、ここの田んぼの稲さんたち。

たぶん、PC表示でしか見れないようになってると思いますが。







ここに来るといつも空がでっかく開け放たれてて、心も解き放たれる。














大野さんの田んぼは、稲を強くするために深めに水が張られていて、

風が吹くと川のようで、稲と水面がきらきら光って美しい。

スイバも最近近所じゃ見なくなったな。昔は茎を吸って「酸っぱ!」ってやってた。







おいしいおにぎりをいただきながら、なぜか自分の足を撮っていた。



大野さんは、会ってお話しするたびに雰囲気が一層やわらかく澄んでいて、

確かうちのおかんと同じ年だったと思うけれど

もう少年なのか仙人なのかわからない不思議な感じの方。

「いつもにこにこしていればいいんだ、

 すべてうまくいくんだなあってわかったんです。」

って、涼しくて穏やかな笑顔で言ってはった。

すっごくシンプル当たり前のことだけど、そこに行くまでがみんなややこしい気がする。

そうは言っても、分かっちゃいるけど、ってなるんだ。大人の事情ってやつで。

もうさ、わたしも、大人ぶらないでいたいな。

っていうか、子どもすぎて周りに呆れられてることも多々あるやもしれんけど。





そうそう、昔、収穫祭に向けてって書いた詩に、知らない間に

曲をつけていただいていました。ありがたいことです。

去年バタバタして行けなかった収穫祭で歌ってもらったそうです。


今回田植え祭でおにぎりや豚汁がふるまわれるので並んでいたら

前にいたおばちゃんが

「ミルキークイーンなのね、ああ、あの歌がついてるお米でしょう?」

って言ってはって、へえ、書いた本人は忘れていたというのに

覚えてくれてるんやなあ、ってうれしかった。










鈴木理一郎さんって、劇団の音楽作ってる方なのかしら。

お会いできなかったけど、ありがとうございました。



それで、田植え祭の歌も、できないかなあ・・って考えてたら

なんか浮かんだので詩を書いてみた。

そしたら今回は鈴木健也さんが曲をつけてくださるそうで、

鈴木さんに縁があるみたい。


詩を送ったら20分くらいして電話がかかってきて

「できた!リズムはこうで、ベースがこう入って、シラバスは・・

 それと、後サビ的なものも作ってもらえたら。」

としゃーしゃー流れるように説明してくれはって、天才!?と驚愕した。


うちの近くのスタジオで、ウクレレとギター教えてはる先生。

子どもに自由な作曲教えたり、年輩の方がグループレッスン楽しんでたり、

障碍を持つ生徒さんとセッションしたりと、フレキシブルなジャズのギタリストさんで

音楽理論とか曲の時代背景とか、いろんなこと教えてもらえる。

誰にでも分かりやすく教えられる人ってすごいな。


曲が仕上がるの楽しみに、書いた詩をUPしてみる




------------------------------------------------------------------------







小さなみどりも虫たちも

草も花も魚もかえる

いのちを呼んだなら

ずっとそれが続くようにと

土とともに歌えたなら

雨はやさしくしみわたる

豊かなねどこに眠る苗は

しっかりと根を張るでしょう




小さなみどりとぼくの夢

きみにつながり運ばれるもの

いのちに出会ったなら

いつもほほえみ生まれるようにと

空にいのりが満たされたなら

風になってふきわたる

さざ波にひたりゆれる苗は

まっすぐ天へとのびるでしょう

おひさまの下で輝くでしょう



しらさぎ とべとべ みどりふるわせ

畔の足あと見送って



しらさぎ よべよべ 金色のしらせ

まるくふくらかな輪をかいて




































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雨を待ちながら ためた光を

好き好きの色に放ってくれる

空が曇るぶんだけ 彩やかに

あじさい  紫陽花

花束いっぽんのおくりもの

だまって膝丈のしあわせをくれる

いつも今年だけ出逢う きみがすき。


























































































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わたしは昔好きだったせいもあってか、

落ちこんだときには、メロウな音楽や美しい音楽よりも

ロックをきいたほうが、なんだか大丈夫になる。

思春期のころは自分がとっても反体制な感じで怒ってて痛々しかった気がするので

(今もある意味痛々しいけれど、そんな自分を嫌わず引き受けてあげるのでとりあえずmf*

ロックって怒りや批判まみれで痛いもの、という記憶をひきずってしまい、

いっとき避けがちになってたけれど

やっぱりたまに聞くとなんだか異様におちつくので、なんでかしらん?と思ってた。

でもさっきふと、

あ、ちゃうちゃう、これきっと、外への批判じゃなくて

批判的な自分とか、くよくよ悲観的な自分

(自我とかマインドとか記憶からできた観念とかゆう類のやつ)に

もーー うっさいわ!!壊しちまえ!!

ってブチ切れてる、核のじぶんの叫びやわこれ。

と勝手に解釈してすっきり。

もう安心して激しいのも淡々と聞ける。



敵は外にはいない、自分のアタマの声のほう

過去だの未来だの気にしまくってぐじゅぐじゅ言うてんと、今に生きろ!!的な

ロックはベースとかドラムがすきなんだけど、ばしっ、ばしっ、と丹田あたりに入るのが

はいっ、いま、ここっ!ぴっ!ってかんじになって好き。

でも、もうCD全部売っぱらってしまったのでネットで聴くんやけど。


10代のころお友達とバンドやってたら、

まるちゃんはこれ歌ったらいいよ、ってもらった曲はいっつも

だいたい怒ってるかんじの曲。




↓せいぜい楽な道をいくがいいさ、っておこってる




↓タイトルが爆弾輸送車だから、もうそれだけで





↓心の底から戦え、ってけしかけてる





↓曲はそんなに激しくないけど、もう、どないなってんねん、って、なんか叫んでる





そんな自分を思い出していたら、

わたしみたいに茨の道を突っ走って痛い思いしたらあかんし、とロックは聞かずに

幼少期より近所のわらべうたと和太鼓と声楽に通い、

民族音楽とクラシック(ジャンルこだわらず何でも好き)を中心に聞きに行き、

ジブリの歌やロシア民謡が好き♪とか言ってたゆうくんが

「ロックもけっこうすきなんだよねハートこれとかすごいいいよすまいる

って見せてくれたのがこれ





わあ


ゆうくん、これ・・ロックてうか、ハードコアやけど

鬱屈してなくて、楽しいね

こんなにしゃしゃり出てくるデスボのキーボードのひと、はじめて見たし

急にラップしだすいかついおじさんとか、ボーカルのひとのカニ踊りとか、

みんなで仲良くそろってヘドバンとか

もうやりたいこと全部やってやる!みたいな


「なんか、ラスベガスでライブやってる外国のバンドらしいんだよね♪」


ちゃうで、ラスベガスってバンド名についてるだけで、歌詞何ゆうてるかわからんけど、日本人やで。


「これもすきなんだよね、詩も歌もすごくいいよ!」

って見せてくれたのが







マトリックス的な歌詞


マトリックスのサントラも好きでよく聞いてた、ゆうくんもお気に入りの映画






結局親子してそっち系か

あ、学校行ってない時点で反体制?と今気づいた。

反体制っていうか、脱・体制か

戦わない合気道がおもしろい!って言うてるし

そういう意味ではわたしより子どものほうがいっちゃってるみたい・・




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子どもたちのために立ち上がろう

地球のために立ち上がろう

そう大人が言って、権力に対抗してしまってはどうしようもない

大人と仲良くできなかった自分をいつまでもやっている

ピーターパンみたい


仲良くなるべきは、子どもでなく大人かもしれないのに

立ち上がる必要ない

そのまま遊んでたらいいでしょ

そりゃあみんな遊んじゃったら収拾つかずに大わらわになるでしょうよ

でもそれじゃいけない、を堪えたぐじゃぐじゃ大わらわの先に

「それじゃいけない」がすべてなくなったら

自然な調和がくるということを

ド近眼で見通せないだけだよ

本来の遊びって享楽や快楽だけにおさまるものじゃない

「それじゃいけない」のストレスがなくなったら

ストレス解消のらんちき騒ぎは必要なくなるでしょ

そうすればあそびはただ生命の自然な躍動

根源的なエネルギーの表現になる


それじゃいけない こんなんじゃダメになるって

世間がグダグダやかましいのは

要するに人間ってもんに対しての信頼が根本的にないの

コントロールしなきゃいけないとんでもない存在だって

自分たちのことを思ってるからそうなるの

それって自分も他人も愛してないの

支配なの

生まれてごめんなさいの原罪意識

悔い改めよ

そんなんじゃ天国いけませんよ

罰あたりまっせ

だから言うことききなさい

そんな脅し文句でびびらせてお金儲けの宗教は人を支配してきたっけ

びびらされては直近の恐れに直結する

反応と反動と反発で動いたって

結局世の中はねっかえりだらけ

反発から生まれるものは反発を生むだけ


でもキリストさんは愛を説いたんじゃなかったっけ

かみさまって愛じゃなかったっけ

かみさまはなにも禁止してない ただの観察 

ああいいなあいいなあーへえーへえーって みんなを見てる

善悪は完全に人間に委ねられて

完全にすべての行動が許されている

どれだけ殺しあおうが いちゃつこうが

へええーって見てるだけの

きっと世界一宇宙一のサドでマゾで変態だよ


どれだけ悪いことしたって いいことしたって

罰もご褒美も人間が作るんだもの

それならかみさまはべつに頼りにならないから

しあわせでいたいんだったら

自分ではっぴーな世界を築く手法を見出していくしかないでしょ


はっぴーは自分で作っていけるんだよって

かみさまに見守られてるんだよ

ただ愛されてるんだよ

救いなんか求めなくても

自分で自分を救えるんだよって

導きなんか求めなくても

自分で自分を導いていけるの

その信頼度合によって

奇跡のように見えることだって起こるの


よりはっぴーにって

はっぴーってどんなかな?って

わたしたちはみんな考えることができるんだから

そんな力をうちがわから引き出すことすら

でかすぎて人間には意味不明のかみさまの愛ってやつのもと

わたし自身の選択にゆだねられてる



それを知ってすさむの

孤独感に苛まれるの

解放されるの

自由を制限しているのは人間だったことを知って

ルールと戦うの

いいえ

ただ

抜けてここにくつろげばいいだけでしょ

ほわああんって。


そういうときになんとなく

かみさまってのも感じられるんじゃない?








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すきま風を感じるほどに

あなたの心は広く

虚しさを感じられるほどに

あなたは大きなものをとらえている

それを飢えや欠乏のしるしだと

悲しく自分を責めるものだと

取り違えたりしないで


ただ膨らみ満ちることに歓ぶ

麗しい夢のうごきを

「生きる」と呼ぶの

それは穢れた欲望なんかじゃない

欲望という欠落感を正当化したい人たちが

自然を不自然に置き換えて囲おうとしているだけ


囲いはいかにも立派で細部に凝るものだから

それを目に映すあなた自身に

騙されないで

ちゃんと見て

こころがほんとうにそうしたがっているのかを


果てなく澄みわたるあなたを

区切って押し込めて

小さく小さくしてしまえば

まるでそのときだけは

満ちているかのように錯覚もできる

だけど縮こまるために生まれてきたのなら

お母さんのお腹から出なくても良かったのに


あなたは外を見たかったのでしょう

太陽のもとにすべての光が色を持ち

開け放たれた明るい世界に

移ろうものたちと戯れたかった

空と海に 山に地に

めぐり駆けてはあなたへと届く

風を受けて

雨に打たれたかった

草いきれの中に寝ころび

青い芳香を体の奥まで吸い込み

揺れる木々と話したかった

花の艶やかさに息を呑んで

土と落ち葉のやわらかさに足を踏み入れ

涼やかな石塊の歴史に思いを馳せ

飛ぶものたちと這うものたちと

違う自分の面白みに浸りたかった

違う誰かと出逢いたかった

手と手をつないで

温もりを知りたかった

目と目を合わせて 細めた瞳の奥で

かたちのないことばを交わしたかった

そこに通い合うものの

名前を集めていきたかった

どれだけたくさん増えようと

止める必要なんてなかった

だってそんなあなたが

生きている

いま生きているのだから


あるもののなかに

ないものを思い描き

くみあわせてみたかった

つながりを見出したかった

結びかけたかった

創りたかった

分け与えたかった

あなたといういのちが

豊潤な母胎の中でそうされてきたように


かたちあるものの現れが

いつも結果であり

過ぎ行くことなのを赦して

変わり行くことに望みを抱いて

ただかたちにあそびたかった

それは決してかたどおりでない

不定形という定型の潮流の中

ここに生きて歓ぶために

不完全を意図した完成形

有限にて無限をあらわす

世界のひとしずくでありたかった

そうすればいつかまた

母なる海に迎えられる日が

静かに訪れると知っているから


あなたはその記憶を胸に秘めながら

ここにあなたとして生きる

夢がどんなに広大無辺で

深みに墜ちるようで

高みに眩むようで

遥か遠くが霞んで見えなくても

怯えたりしないで

目を逸らさないで

いつも感じていて

見えないものにまであなたは含まれている

見えないものまでもあなたは描くことができる


あなたはそこから来て

そこに還るのだから

あなた自身が

それでできているのだから

あなたを失った気にならない限り

何ひとつ失われないのだから

何もかもがあるのに

何にもないだなんて

言いたがるときは

さみしい声にそっと寄り添い

その愛しい虚飾を見つめていて

あなたの遊び場に

自分を恥じらう彩りのたったの一筆が

夢のすべてを塗りつぶすほどに思えても

どうしたって逃れてはみ出し続ける

あなたのこころは

誰にも何にも捕まえられない

だからこそ捕まえたくなってしまう

そんなあなたがいるだけだから

そんなあなたが

生きている


いま生まれて

いま生きているの









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今朝はあたまの中がいろんなものでゴチャゴチャいっぱいでまとまらず、

こういうときに無理にまとめようとしたってムダなのだけが何となく解るので

ゆっくり呼吸を意識して落ち着いて、買い物に行った、その帰り。


駐輪場に置いていた自転車のカゴに買い物袋を入れて乗ろうとしたとき、

知らないおじいちゃんがニコニコしながら声をかけてきた。


「おねえさん、ここ、錆びついちゃってて危ないよ。子どもが乗って

 崩れちゃったらかわいそうだからさあ。」


ゆうくんが生まれてから10年乗り倒している自転車のチャイルドシートの

足掛けの部分がサビサビに朽ちかけているのを、心配して言ってくれたのだった。


おじいちゃんは痩せていて、若い人が着るような

チェックのウェスタンシャツを綺麗に着こなしていて、

顔に刻まれた深い皺のひとつひとつの線が正直でシンプルな感じ。

澄んだ茶色の目。

ああいいなあ、絵に描きたい顔のひとだなあ、って、

立ち止まって話しかけられるままに、屈託のない笑顔に見入ってた。



「子どもももう大きくなったからシートには乗せないんだけど、

 荷物乗せるのが便利だからこのままにしてるんです。」


「ああそうかい、お子さんひとりなの?え、男の子だけ?

 女の子できなかったのかあ、じゃあお姉さんかわいそうだねえ、

 自分の味方がいないじゃないかねえ。」



へええ、そんな考え方があるのかあ。

なんだか突然に、思いもよらない角度から労わってもらって

自分の中のどこにあるのかも、それがあったことすらも解っていなかった

日の当たらない部分にふっと光を当ててもらって、癒えて緩むような感覚を覚えた。


「あはは、そうですかねえ。」


笑い返すと、なんだか気に入ってくれたらしく


「お姉さん気持ちがさっぱりしてていいねえ、ぐじゅぐじゅしてる人は嫌だけどねえ。

奢ってやるよ、遠慮しないで待ってな。

俺この店よく来るから、店のやつと仲間なんだよ。

なんでもね、仲良く気持ちよくしてたら、いいんだよ。」


とまたお店に入って行って、缶コーヒーを買ってきてくれた。


「こっちの日陰で飲みな。この木は、花が咲くと匂いがすごくいいんだよ。」



名前も知らない大きな木の下で115円のほの甘い液体を飲み干す間、

おじいちゃんの今までの人生の話を聞いた。


生まれは九十九里浜の元職人さん。

内装のペンキ塗りをずっとしてきたので、手の指が曲がりにくくなっている。

今は役所の世話になっていて相談窓口は待たされるし苦手だけれど

他の人たちのケンカ腰のやり取りを見て、ああじゃいけないなと思っていたら

担当になったのは優しい女性で、一言話しただけで胸がすーっとしたんだよ、って。

住んでるアパートも高齢者ばかりで、最近数人亡くなられて、

孤独死した人が袋に入れられ運ばれていくのを見た、って。

幼い頃の海の思い出、

近くのお店で当たり前のように盗み食いしては、叱られながらもゆるされていた話。


「今はやってる人も変わっちゃって、そんなのできねえよな。」

と笑った。



年金暮らしでいろんなお店を買い回る安いラーメンとお弁当で暮らしている

70代のおじいちゃんが奢ってくれた缶コーヒーの価値は、

それまで気軽に飲んでいた同じ缶コーヒーとは全く違った、豊かな意味を含んでた。



「俺はこの近くだからよう、いつも買い物来てて、これ買ってくんだよう。」



そう言って指さした自転車のカゴと荷台には、

袋いっぱいの大量の1個55円のインスタントラーメン。

前カゴはしょうゆ味で、荷台のほうは塩味。



あっ、そうだ。

実家から何かの景品のインスタントのラーメンとうどんをたくさんもらったけれど

あと10日ちょっとで賞味期限だし、

食べきれないからどうしようかなって、思ってたとこだったんだ。



「持て余してるんだけど、近くだったらわたし持って行くので、もらってくれませんか?」



おじいちゃんは喜んで、住所を教えてくれた。

うちと目と鼻の先の距離、いつも自転車で通っている道沿いのアパートだった。


おじいちゃんは自炊をまったくしないみたいで、

同じラーメンと安いお弁当とおにぎりだけで生きていて

だからなのか、首の後ろに脂肪の塊がぽっこり出来ており、切らないといけないらしかった。

そこにまたラーメンだけ持っていくのもなあ、と思ったので

デトックスになるレモンの精油も一緒に持ってって渡したら

顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。


サビ落としのスプレーを持ってきて、自転車にめいっぱいかけてくれた。


「これでちょっとは漕ぐの楽になっからよ。

556っていって、そこのでっかい店に売ってっからよ。

俺、あの店のやつとも仲間だからな。

おねえさん、またいつでも来なよ。

困ったときは、いつでも相談乗ってやっからよ。」




ラーメンをムダにせずに済んだし、自転車のサビ落とししてもらえたし、

なんだか気持ちも軽くなってた。

ひょんなことから。

本当、頼みもしなかったし、思いもしなかったところから。



昔好きでよく読んでいた、中島らもの文章、思い出した。





「その日の天使」                                   

 
死んでしまったジム・モリスンの、
なんの詞だったのかは忘れてしまったのだが、
そこにThe day’s divinity, the day’s angel” という言葉が出てくる。

英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、
ぼくはこういう風に受けとめている。

「その日の神性、その日の天使」

大笑いされるような誤訳であっても、別にかまいはしない。

一人の人間の一日には、必ず一人、
「その日の天使」がついている。

その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。

少女であったり、子供であったり、
酔っ払いであったり、警察官であったり、
生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。

心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。

逆に、絶望的な気分におちている時には、
この天使が一日に一人だけさしつかわされていることに、よく気づく。

こんな事がないだろうか。

暗い気持ちになって、冗談でも"今自殺したら"などと 考えている時に、
とんでもない友人から電話がかかってくる。
あるいは、ふと開いた画集かなにかの一葉によって救われるような事が。

それはその日の天使なのである。


夜更けの人気が失せたビル街を、
その日、僕はほとんどよろけるように歩いていた。
体調が悪い。黒い雲のように厄介な仕事が山積みしている。
家の中ももめている。
それでいて 明日までにテレビのコントを、十本書かなければならない。
腐った泥のようになって歩いている、
その時に、そいつは聞こえてきた。

「♪おっいも~っ、 おっいもっ、
  ふっかふっか おっいもっ、まつやのおっいもっ♪
買ってちょうだい、食べてちょうだい、
あなたが選んだ憩いのパートナーまつやのイモッ♪」

道で思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。





わたしも何か自分の中に大なり小なり翳りを感じるたびに、

いつもいつも決まってその日の天使があらわれて、助けてもらってきた。

腐りたくても腐り切る一歩手前で何かに出逢い、

化学反応が起きて、発酵、熟成の方向に導かれて。

心の奥底で自分が本当に行きたかった方向へ。

それは決してひとりじゃできなかったこと。



天使はいつも、あらゆるかたちでもってわたしに投げかけをくれた。


例えばどん底のときにふとつけたTVから流れてきた言葉、

レストランの店員さん、通りすがりの子ども、

数か月に1度くらいしか話さない友達、

本屋で目に飛び込んで来た見出し、

そっと肩に止まってきた蜜蜂、

どこからか舞い降りて掌の上に着地した鳥の羽、

髪型を容赦なく滅茶苦茶にする突風の爽快さ、

ある朝窓を開けると、こちらを見上げて満開に咲いていた山法師の花たち。



谷川俊太郎の詩も思い出した。




「天使というよりはむしろ鳥」



なんでもしってるおとななのか

むじゃきなこどもなのか


つばさはどろだらけで

きのうモーツァルトのソナタの

すみっこにいた

きょうゆうやけぐものうえに

ちょこんとこしかけていた

おんなでもおとこでもないにおい

としおいたきのねんりんにまぎれ

こいぬのひとみにひそみ

かくれんぼしていた

あのてんし






大阪にいたとき、好きで枕元に置いていた本


クレーの天使/講談社
¥1,620
Amazon.co.jp



誰もが、誰かの天使として、日々のうちに響きあっているんだろうな。


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我慢したらご褒美が貰えるっていうのはね

ご褒美を独り占めしたい人たちが、

みんなに我慢をさせるために考え出した「ウソ」なんだ。



そんなウソを信じるのをやめたら、

みんな不公平なくご褒美を貰えるものなんだ。

「生きている」っていうことのご褒美をね。






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わたしって、なんで人間になったんだろう

なんで肉体を持ってこんな不自由な世界?

わたしはなにがしたくて生まれたんだ

まるで居心地の悪さを体験しつくしたかったかのよう

悪というものがどういうものか知り尽くしてみたかったよう


ということはわたしは悪ではなく

人も悪ではない

反対の善でもない

肯定否定抜きにして

どうしたって在る 存在

不変と普遍のその一部


そして一部は全体をもあらわす


なんでもないのだから

「なにか」をやってみたかったんだろう

でもその「なにか」を通して 結局

実はなんでもなかったんだ、

ってことを思い出している。







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友達が、買ったけど使わないという万年筆を「出世払いでいいから」と送ってくれました。


今使ってるのはパイロットの子ども用万年筆、kakuno。
友達曰く、高いのいっぱい試し書きしたけどkakunoは値段も安いのに、とても書きやすいらしい。
子どもが使いやすいように作られてるのだから、大人もやっぱり書きやすいみたい。



PILOT(パイロット) kakuno(カクノ) 万年筆 FKA-1SR(1000) 【RCP】
¥756
楽天



そして今回おうちに送られてきたのは、これ




ペリカンのスーべレーン。値段がkakunoの30倍くらいになっちった汗2

わたしはいったい何で出世するのかはさておき、

万年筆もインクも、めっちゃ好きな色。




昔から青が好きでしょうがない。
服や身につけるわけではないけれど見てるといちばん落ち着く。

病みがひどかったころは夜中にずっとイルカの写真集見て、
部屋のカーテン、ベッドのシーツ、ソファ、テーブル、全部まっ青だった。










死ぬときは映画のグランブルーみたいに海の底に沈んでいるかしゃんに会って
二度と浮き上がって来たくないって思ってたけど、いまはもうなんでもいいっす。
海の底でなくてもウォーターベッドの上とか、気もちいいかもしれない。
死後は骨を粉砕して海に撒いてもらいたいなあとは思うけど、法律的にだめかもしれない。



今日は心身とも青を欲してる感じなので、
自分が見たいとき用にいっぱい好きな青を貼ってこうと思います。








箱根のポーラ美術館で見たピカソの海辺の母子像








ゴッホの星降る夜も東京のどっかでいつか見た







川瀬 巴水 荒川の月(赤羽)







パウル・クレー 呑み込まれた島 クレー好きハート







オディロン・ルドン 夢の王子 ルドンは青くなくても好き








ももちゃんに教えてもらったロブ・ゴンサルヴェスの「終わらない夜」の表紙絵
もってかれる感がすき






↓大好きなギレルモ・デル・トロ監督の青系映像












芦田愛菜ちゃんがパニックになってるパシフィック・リム







パンズラビリンス







この映画もポスターが青いから好き。エンディングの遊園地みたいな曲も好きだった。








今手帳カバーに入れてる、まあるい広場のポストカード










オーラソーマの0番ボトルの色が好きで仕方ないので一時整髪料代わりにしてた







海外でどこ行きたいかとあえて言うとジープ島とモンサンミッシェルなんだけど、
どっちも青っぽいから行きたいだけのような気もしてきた。










携帯で撮ったいつかのどこかの空






これは確かガラケーで撮ったららぽーと屋上駐車場の空








このプラネタリウムの色が好きで何回も観に行った








さいごに、歌にblueって出てきて好きなのはこれ




ラピスラズリつけて、ニーナシモン聴いて寝ようラピスラズリ??






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卒業した学校に戻る必要はない

師が、その後のわたしを離れたとこで見てくれたらそれでいいし

ずっとその学校の中にいないと、つきあってくれないのなら、

つきあわなくてもいい

サイクルがもうあわないことに、気づくのが早いしあわなくなるのが早いし、

それで自分責める必要はあるのかな?


違和感を感じたときに自分を責めやすくなっている

饒舌で、賛同が多いものと自分を比べてることが多いけど

自分がかつて通ったところに違和感を感じるなら、それは成長しているしるしかも

通ったことのないものは、まだ引き寄せられていないはず


酔いなら必ず醒めるけど、それは悲観することじゃない

醒めてる人はある種孤独だけど

それでも、とひとりで歩いているうちにいつか並んでるひとだって、いつもいた。




光は誰の中にもあるのに

だまされたと思って責める、そこにとどまってても、自分の光にはたどりつけない。


たとえば陰謀論とか 

ひとくくりに責めるとき それが戦争になる

責めること、暴くこと、その反対の正義を主張することがアイデンティティーになっているときって

自分を生きているだろか

あなたの存在はそれに費やされて終えてしまうようなものなの?

いつまで傷ついた人のふりをしているのかしら

本当の愛は、そんなに饒舌に語るものかしら。







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