嘉永5年~安政元年までの佐久間象山の入門者
『幕末洋学教育史研究』坂本保富著P128
土佐藩では、すでにペリー提督の浦賀来航前の天保年間から、最新の西洋軍事科学を修得した指導者の育成を期して、藩内の有能な武士や郷士たちを、下曽根信敦や佐久間象山など、江戸の著名な西洋砲術塾に入門させていた。土佐藩からの下曽根塾への入門者については後述するが、その下曽根とは昵懇の間柄にあり、同時期に江戸の西洋砲術界で活躍した佐久間象山の私塾には、嘉永五年(1852)から安政元年(1854)の僅か三年間に、土佐藩から次の23名が入門していた。
嘉永五年 | 樋口真吉、横淵広之丞、桑原助馬、山崎文三郎、 |
嘉永六年 | 坂本龍馬、弘田善助、森沢禄馬、横山竟三郎、井上佐市郎 、寺田小善、山田太平、安部喜藤次、山本大蔵、衣斐小平、谷村才八、野沢和泉、大庭穀平、野中太内、若沢弥太郎、平尾喜内、高村直蔵 |
安政元年 | 和田潭蔵、大庭義兵衛 |
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道頓堀で絞め殺された井上佐市郎さんと同名があったので、引用してみました。
藩から、恩師である吉田東洋暗殺の下手人を探し出すように、と下横目として役に付きましたが、殺された当時は、その役からは放免されていたそうです。半平太さん道場にいた、東洋先生の門下生、佐久間象山の門下生、いろいろな経歴があったものですね、同一人物ならの話ですが。
※数字は読みやすいように、アラビア数字に変えた部分もあります。原文は表組されていません。