アッバス・キアロスタミ 友だちの家はどこ? | ブッチャー山のブログ

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黒澤明監督のような、徹底的な人工美の巨大化で、自意識過剰なまでの才能の浪費とすら思える、ある種の鈍重な恐竜の如きな作品とは真逆な作品はまさにこのような作品であり、一見、慎ましやかな作りであり、素朴なスタイルではありますが、そして、シンプルなテクニックのようではありますが、実は、既に映画の限界を自覚している臨界点からの表現となっており、映画への畏れから派生した、強い慎ましやかな姿勢による表現は、映画そのものの根源的な力と威力を、絶えず、画面に普及させているわけであり、空間処理も言わずもがなでありますが、少年が、ジグザグな丘の道を走る画面から伝わる戦慄や、或いは、暗闇が見える構図に、ドライヤー作品のような、映画としてのサスペンスが露呈していて、アッバス・キアロスタミ監督が、類い希なる才能に恵まれた、いわば、一筆書いただけで凄みを利かせることができる天才であり、何筆も書いてやっと、という黒澤明監督とは対照的な才能の持ち主であることが、よくわかります。黒澤明監督がアッバス・キアロスタミ監督をサタジット・レイ監督の再来と呼んでいた記憶がありますが、それは題材だけであり、テクニックや才能という点では、より現代的で、映画の根源に対して天才的な嗅覚を持っていて、だいぶ違うのではないでしょうか?ともあれ、単なる児童映画を超越した、恐るべき作品であります。かなり、容赦しないところがあります