和歌山市在住のお城仲間から、「秀吉が太田城を水攻めしたとき築いた土手が少しですが残っていますよ」との情報をもらいながら、なかなか見に行く機会がなかったのですが、今回、やっと目的を達成しました。

太田城の本丸とされていたところには現在、来迎寺が建てられ、そこには「太田城址」の石碑があり、また、境内のはずれには、城主らが処刑されたといわれる「小山塚」があり、そこは以前訪ねたことがありました。

目的の堤防跡は太田小学校の少し北に残っていました。みたところ50mほどの長さでしたが、残っています。来迎寺の案内板に、太田城の門が市内の大立寺に移築されていると書かれていましたので、少し足をのばし、和歌山市橋向丁の大立寺にも寄ってきました。意外に知られていない太田城水攻め関係の史跡がまだ残っていることを実感しました。