静岡古城研究会 が創立40周年を迎え、『静岡県の城跡―中世城郭縄張図集成―』(中部・駿河国版) を発刊し、その発刊記念のシンポジウムが静岡で開かれました。会は1972年に発足し、私は1973年に静岡大学に赴任し、すぐ入会しましたので、40年というわけにはいかず、会員歴39年です。

シンポジウムは、第1部として、今回発刊した縄張図集成に収められた主要な城郭についての調査報告、第2部として、会員によって発見された徳願寺山城(仮称)の歴史的性格をめぐっての討論会との2部構成でした。

本当は1日目に徳願寺山城の現地を歩き、その上で、2日目のシンポジウムという順番でしたが、1日目の天候が悪いということで、順番を入れかえて開催されました。徳願寺山城というのは、今川義忠夫人北川殿の菩提寺である徳願寺の裏山、標高361m(比高340m)の徳願寺山の山頂部を中心に城郭遺構がみつかったもので、城の歴史について書かれた史料もなく、また、土地の伝承も全くなかったところです。

そのため、城が使われていた時期についても、(1)南北朝期、(2)永享期、(3)文明期、(4)天文期、(5)永禄期と何期かに意見が分かれ、シンポジウムは盛りあがりました。

実際に現地を歩いてみての私の感想としては、駿府を見おろすいい場所であることから、駿府の今川氏に敵対する勢力の築城と考え、(1)南北朝期の宗良親王らが安倍城に入った時期、(5)武田信玄が2回目に駿府を攻めたときというように、何度か使われたのではないかと思いました。