『楽園』/鈴木光司 | こだわりのつっこみ

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 生き続けることは苦しく、何度も死にそうな目にあいながらも、窮地から抜け出すたびファヤウはボグドと彼が手に入れた赤い鹿の精霊に感謝することを忘れなかった。遠く離れていても、守られているとはっきり実感できる。彼女はまだ知らない・・・・・・。遥か未来の再会を手助けするのは、この赤い鹿の精霊であり、ウォリバが天から与えられた音に対する鋭敏な感性であることを。その日がいつ到来するかわからなくとも、ファヤウはボグドを待ち続ける覚悟だった。巨大な意志が海をも動かし、波立たせ、そびえる津波となって東へ東へと迫ってくる、その気配。
(p62より)


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今回はSF物をということで、『リング』や『らせん』シリーズで一躍ホラー作家としての地位を固められた鈴木光司さんのデビュー作を紹介します。

その名も楽園

これは自分が高校生の時に読んだことがあったのですが、もはやなんとなくしか覚えていなかったので、読み返すことにしました。


内容ですが、よくある「いつかまた会える」系

しかし、そこらの甘い恋愛物ではなく、冒険譚、地底湖脱出など、ファンタジーではなく、SF物として、かなり深い知識などもちりばめられており、それが輪廻転生が本当にあるかのような錯覚に陥るくらいに仕上がっていると思いますニコニコ

あらすじは、有史以前のモンゴル。芸術的才能があり、しかも族の長のボグドはファヤウという女を妻とし、厳しい砂漠の気候に耐えながら幸せな生活を送っていたのですが、ある日、ボグド部族が別の部族に襲われ、2人は別々に。
ファヤウを捕らえた族は、豊穣の地を求めてべーリング海峡を渡り、アメリカ大陸へ渡ろうというのです。
その際、ボグドはファヤウに赤い鹿が刻まれた石を渡します。それが2人の唯一の繋がり。
ボグドもべーリング海峡を渡ろうとするも不可能、それならということで南洋の島々を辿って、ファヤウのいるであろう東へと船出していくのです。
いつかまたきっと出会える。2人の強い気持ちは赤い鹿によって幾多の困難を越え、さらに時間を越えて繋がっていく、という物語です。


では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。









楽園 (新潮文庫)/鈴木 光司

¥540









~2回目 2010.1.28~

実はこの作品、高校生の時に読んだことはありました。
その時は、ボグドとファヤウの子孫が再会してほしい一心で数々のSF的な描写を無視していましたが、今回、結末がなんとなく分かっているので、
今読み返してみると、なんとなく冷静な気持ちで読むことが出来ました。

まず、この作品の素晴らしいところですが、

(1)「2章」があるところ

物語としては、太古の時代に離れ離れになった2人が、子孫を通じて現代に再会する。
というものですが、それぞれ1章と3章に対応しています(この本は3章立て)。
では2章は?
ということになりますが、この2章によってこの物語を「単なる」ファンタジー物語ではなくしているのです。

というのも、

ファヤウ(女) モンゴル → ベーリング海峡を渡ってアメリカへ行く。
ボグド(男)  モンゴル → 南洋諸島を渡ってアメリカを目指す。

ということで1章は終わります。

そして3章は、

ファヤウの子孫、レスリー(男) → アメリカにいる。
ボグドの子孫、フローラ(女) → アメリカにいる。

というところから始まります。

「えっ。ボグドは(もしくは彼の子孫は)、いつアメリカに来たの?」
という当然の疑問、それを2章で細かく説明してくれているのです。

丁寧です。非常に。
しかも、この2章のタイトルは、小説のタイトルともなっている「楽園」。
この章は海洋冒険譚とも言うべきかなりスリリングな内容で、さらにタイラーという男に惚れてしまうこと間違いなしビックリマークです。
最初は、何考えてるかわからない奴なんですが、彼の死に様、まさに戦士。
飄々としていながら情に厚く、しかも過去を背負っている暗い部分も持ち合わせる。確かにジョーンズが崇拝する気持ちは十分に分かります。

ということで、この2章によって

ボグドの子孫(女)ライアは南洋の小島にいて、漂着したアメリカ捕鯨船の乗組員ジョーンズ(男)と結ばれるも、海賊どもによってライアやジョーンズ、島の住人たちは島を追われ、ジョーンズの故郷アメリカへと渡る

ということになるのです。


(2)各章のつながりを魅せる。

もちろん、「赤い鹿」というのは全編で登場するキーとなるものなのですが、それ以外にも、ちょくちょくつながりを見せることによって、魅力的になっています。

例えば3章「砂漠」において、作曲家となっていたファヤウの子孫、レスリーが作曲した交響曲「ベリンジア」。その曲の流れが、
混沌 → 統一への予感 → 統一、完成
となっていて、まさにこの小説全体の流れを暗示させるものになっているのです。

さらに、津波の存在。地球の陣痛、胎動として描かれているこの自然現象ですが、これによって、ボグド、ファヤウ両子孫は助かることになるのです。
2章においては、津波の盛り上がった水量を利用して筏を出帆させることに成功、アメリカに向かうことが出来ます。
3章においては、津波の勢いと、水量を利用することで、地底湖に閉じ込められてしまったレスリーが地上へと脱出することが出来たのです。


(3)再会したボグド・ファヤウの子孫が一言も言葉を交わさない

電話では会話をしたことがありましたが、実際に目と目を見つめあった再会の瞬間から、2人はお互い口を聞いていません。
ただ、お互いのこれまでの非常な運命と、これからの幸福になるだろう運命をかみ締めているのです。
でもそれだけで十分、「会いたかったよ」なんて言われるとなんか軽い気がしますもんね。


しかし、そうは言っても自分としては納得できない部分シラー

(1)ボグドとファヤウの描写が薄い。
もちろん、惹かれあった2人ですが、なんというか、何千年もの時を越えるまでの愛情を持っていたのかどうかが伝わりませんでした。
それならむしろ、2章のライアとジョーンズの方が詳細に述べられている分、愛情の強さが分かったのですが。
つまり、導入として若干弱いのではないか?と思うのです。
そうすると、次の納得できない部分にもつながっていきます。

(2)3章でレスリーとフローラがなぜあんなにも惹かれあうのか?
レスリーはファヤウの子孫、フローラはボグドの子孫です。
しかしボグドの子孫はフローラの何代か前にすでにアメリカに来ています。
なぜ、その子孫たちは出会わなかったのか。逆に、レスリーとフローラに急にそんなに惹かれさせる理由はなんなのか?よく分かりません。
つまり、ここで見え隠れするご都合主義がなんとなく、違和感を覚えるのです。
例えば、もう1章加わって、アメリカに到着したんだけれども、子孫らは出会うようで出会わないようで、出会ってもまた引き離される、的なことが起こったらもっとすんなり入れたのになぁ、と感じました。

フローラは生まれてからこのかた、人を愛するということに関してなんとなく違和感がありました。
レスリーも遊び人として有名で、暗に本当の愛を求めていたのかもしれません。
やはり、フローラはレスリーと、レスリーはフローラと出会わなければならない、という暗喩でしょうか。

しかし、それなら、ライアとジョーンズは!?
ジョーンズは赤い鹿とは関係なかったはず。ファヤウの子孫ではなかったはず。
なのにあんなに惹かれあって運命を共にできたのか、よく分からなくなってしまいます。

やはり3章だけで、急速に急激にレスリーとフローラをくっつけさせようとしたことに無理があったんじゃないかなぁ
ショック!




総合評価:★★
読みやすさ:★★★
キャラ:★★★★
読み返したい度:★★