--------------------------------------
「なあ、みっちゃん。俺と一緒になるか。
しかし真次の期待していたように、みち子の硬い表情がほころぶことはなかった。むしろ頑なに、みち子は言い返した。
「それ、どういう意味?プロポーズのつもりなの?」
猛々しく吠えながら、ステンレス製の車両が入ってきた。目を吊り上げてホームに立ちつくすみち子を、真次はドアの中に引きずりこんだ。
「聞いてくれ。今ふいに考えたんだ。これは誰かが俺たちに新しい人生を歩み出させようとしているんだって。君が巻きこまれた理由も、それで説明がつくじゃないか」
「都合のいい解釈はしないで。私はそんなこと望んではいないわ。あなたは勝手よ」
「嘘をつくなよ。望んでいないはずはない」
一瞬、気色ばんだあとで、みち子の瞳はしおたれるように悲しくなった。
「望んではいけないのよ」
「なぜ?」
みち子は真次をきっかり見据えて、何かを言った。速度を上げた地下鉄の轍が、言葉を遮った。
それは簡潔な、えりすぐった言葉のようだった。激しい捨てぜりふのように、ほんの一言それを言ったあとで、みち子は言葉を取り戻そうとするように両手で口を被った。
(p244-245より)
--------------------------------------
今回は浅田次郎さんの『地下鉄に乗って』を読みました。映画化もされているらしく、彼の代表作の一つと言っても良いのでしょうか。私も作品の名前は聞いたことはあったのですが、そういう話だったのか!といった感じでした。
★ 主な登場人物 ★
小沼佐吉・・・昭一・真次・圭三の父親で、1代で小沼グループを作り上げた厳格な男。
小沼昭一・・・小沼佐吉の長男。絵に描いた優等生だったが、父との口論の末、自殺。
小沼真次・・・小沼佐吉の次男。本作の主人公。父に反発し、縁を切って家を出る。
小沼圭三・・・小沼佐吉の三男。兄2人が継がなかった、小沼グループを継ぐ。
軽部みち子・・・真次が勤める下着会社のデザイナー。美人で真次と不倫の仲。
★ あらすじ ★
1代で、世界に名をとどろかす巨大企業・小沼グループを作り上げた小沼佐吉を父に持つ真次は、秀才の御曹司としてグループの後継者と目されていましたが、父に反発し縁を切り、怪しげな下着メーカーの営業をしていました。ふと思い立って立ち寄ったクラス会では、彼の境遇を知った旧友たちから相手にされず、真次は会費の「もと」をとってやろうと酒をあおり、悪酔いしてしまいます。さらに運が悪いことに、帰りの地下鉄が事故で運転を見合わせていました。そこに突如として現れた、かつての恩師、野平(のっぺい)から、この日が父と喧嘩し、地下鉄に飛び込んで自殺した兄・昭一の命日だということを気づかされます。
兄の命日のことを思いながら、振り替え乗車のために地下道を歩いていると、真次は不思議な出口があることに気づきます。出てみると、なんと兄の死んだ時間の4時間前にタイムスリップしていたのです。真次はその状況に戸惑いながらも、兄を助けられるかもしれないと思い、兄を必死に探し、自宅に送り届けるのです。
このタイムスリップの体験を、真次は自身が勤める会社の社長・岡村と、腕利きのデザイナー・軽部みち子にするのですが、兄があの日に死んでいるという状況は変わっていないようです。岡村は真次が疲れているのだと察し、「明日は仕事を休め」とやさしく声をかけます。さらに、岡村はみち子にも休めと言います。真次とみち子は不倫の仲であり、岡村はそれを知っていたのです。
真次がみち子の家に帰ると、みち子は真次が小沼グループの御曹司だったこと、さらに小沼佐吉に興味があると話します。そして、小沼佐吉がどのようにして財をなしていったのか、自分もできるならばタイムスリップして見てみたいと言い、真次とともに床に就くのでした。
真次は終戦直後の新宿にタイムスリップしている夢を見ました。そこには、アムールという不思議な魅力の男がいました。真次を進駐軍の通訳だと勘違いしたアムールは、何かの取引をしようと自分の店に案内します。真次は航空用メチルアルコール(バクダン)を飲んでしまい、意識が朦朧とする中で、夢から覚めました。しかし、起きても酒臭く、さらにみち子も同じような夢を見ており、アムールに会ったというのです。これは夢か現実か分からず、2人は動揺するのです。
続きはネタバレを含みます。いやな方は見ないでください。
★ あらすじ(続き) ★
その後、何度も真次はタイムスリップをします。実は、みち子もあれ以来、同じようにタイムスリップをしていました。真次のタイムスリップと、新たな情報については以下の通りです。
① アムールに会った翌日(昭和21年2月17日)
・ 真次が進駐軍の通訳でないことが判明するが、アムールは真次に一儲けの手伝いをしてくれと頼む。
・ 真次が一儲けの手伝い作戦の最中、「お時」というアムールの女に会う。ただしアムールは妻がいる。
② アムールが入営する日の地下鉄(戦時中?)
・ アムールは地下鉄ばかり見ていたことから「メトロ」という名だった。
・ アムールの白たすきから、アムールが父・小沼佐吉であることが判明。
③ 戦場(満州)
・ 突然のソ連軍侵攻に、国民学校の教員が村人たちを連れて逃げたところにアムールもいた。
・ アムールは兵士として、彼らを守ろうと命を張っていた。
④ 関東大震災後~開戦前まで
・ 少年時代の小沼佐吉に出会う。
みち子を巻き込んだ、このタイムスリップはどこかおかしく、真次たちは、誰かが何かの理由があってタイムスリップさせているのだろうと考えざるをえなくなります。みち子はその理由を分かったようで、最初に真次がタイムスリップした、兄の自殺した日に今度は一緒に戻ります。ここで、衝撃の事実が明かされることとなります。
それは、みち子の父親が、真次と同様に、小沼佐吉であったということでした。
そして、みち子の母親は「お時」だったのです。兄の命日のまさにその日、実はみち子の生まれた日でもありました。
冒頭に紹介した、真次のプロポーズを、みち子が拒否したのもここに理由があります。
みち子はお腹が大きい(というよりみち子本人が胎内にいる)、母である「お時」に自分の幸せと好きな人の幸せ、どちらを選ぶかと聞きます。「お時」は好きな人の幸せだというと、みち子はお時をからめとるように抱くと、そのまま石段を転げ落ちたのです。みち子は、これ以上真次と一緒にいられず、それが真次を苦しめてしまうと思ったのでしょう。当然胎児は死亡、つまりみち子はこの世に生まれない子になったのでした。
タイムスリップから戻ってきた真次に待ち受けていたのは、当然みち子がいないという現実でした。
真次は大きく動揺しながらも、小沼佐吉の子として、父のように生きていこうと決めるのでした。
★ 感想 ★
正直に言うと、物語の中心がどこにあるのか分からず、あまり世界観に入っていけませんでした。
父・小沼佐吉(アムール)を中心に見た場合、なぜアムールが、貧血の妻を引きずりだして殴打をする人物になったのか、描写が少なすぎるように感じました。
真次を中心に見た場合、彼があまりにも自分勝手だという印象です。暴力こそないにしろ、何の悪気もなくみち子と不倫をし、みち子のいない世界でも父に会おうとせず、弟の圭三も助けようとしない。父のように生きるというのは「アムール」のことか、「小沼佐吉」のことか分かりませんし、後者だとしたらそれこそ、「おまえは何を見てきたのだ」と言ってやりたくなりますね。
そして、みち子の死もやや説得力が足りないように感じました。というか、後半に来て急に2人をタイムスリップさせたのには何か理由があって・・・・・・と、近親姦をこれ以上続けさせてはならないというようになっていますが、そもそも初めに真次だけが兄の自殺した日にタイムスリップした理由はなんだったのでしょうか。うーん、私の読みが甘いのかもしれません。
さらには、兄の死はタイムスリップで変わらなかったのに、それ以降真次がアムールに手を貸したことは反映されています。つまり、小沼佐吉の成功に、タイムスリップした息子の小沼真次は大きく関わっているわけです。さらに、みち子は自殺といってもいい行動をとり、これも現実世界で反映されています。その違いはなんなんでしょう。
浅田ワールドを知るにはまだ早かったのでしょうか。。。
とはいえ、タイムスリップした日本の様子が、生き生きと描かれてあった点はとても興味深かったです。
総合評価 ★☆
読みやすさ ★★★
キャラクター ★☆
読み返したい度 ★☆