親愛なる自殺志願者へ①~死ぬ前にまだ『諦めること』がたくさんあるという話 | ライブハウスの最後尾より

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邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

※この記事にコメントをくださる方が当ブログ比で多いので前書きを追記しておきます(2017.10/31)。


この文章を書いてはや四年以上が経過しており、自分の考え方も核の部分は恐らく変わっていないものの、より洗練されてきていると感じています。


つまり、ここから始まる23歳くらいの俺の文章は非常に未熟なのです。記事自体を削除することはしませんが、自殺という切羽詰った状況でこのブログを検索されてくる方も多いところで、理路の未熟な文章を読んで間違った認知に至ってしまわれる方が増えることを危惧しています。


というわけで、最新の記事や、上手く書けたのではないかという文章をこちらにリンクしておきます。


親愛なる自殺志願者へ~死ぬまで「死にたい」と言いながら長生きする。そんな人生も良いはずです。

※以下、2019.6/30 追記

親愛なる自殺志願者へ~命とは、宝石であり、塵(チリ)である。


親愛なる自殺志願者へ~無理なモンは無理


自己分析的文章(2019版)


親愛なる自殺志願者へ~自己肯定感/反出生主義/『幸福』というメジャーから『気楽』というマイナーへ

どうも( ^_^)/

自殺について~散々な学生時代は保育園まで遡ってしまうという話

こういうことを書いていいのかと思う時があるが、気にしないで行きます

何となく生まれたから生きているだけの人間の充足感と、今欲しいもの

といったブログを経て、もう書きたいことがあり過ぎることに気づいてしまったので、これで一つのジャンルとして書いてしまおうと思った者です


物心ついたときから他人と馴染めず、それ故人から嫌われ、孤立し、からかい・嘲笑の対象にされてきた人間関係、その他様々な苦痛を受け取り「死にたい」と思ったこと数知れず

反面「生きたい」と思ったことなど一度もないにも関わらず、なんだかんだここまで生きてきてしまった

掃き溜めのような人生でも「そう悪くない」と思えるに至った今までを総括してみます

そして、出来れば、事情は違えど俺と同じく自殺志願者である人たちに向けて「その人生、終わらせる前にちょっと考えてみないか」というメッセージになるような文章にしたいと思います


親愛なる自殺志願者へ

これは皮肉でも嫌みでも無く、俺自身が「生きたい・生きるの楽しい・生きるの最高、☆⌒ヾ(*゚∀゚)ノヒャッホォ-ゥ♪」という人より「生きたくない、死にたい、どうしても死にたい」と思っている人の方が親しみが持てるのでそういうタイトルにしたのです

俺は自殺を全面的に肯定します

嫌なこと、辛いこと、苦しいことからは早く抜け出した方が絶対良い、「楽になりたい」という願望を否定することはできません

ただ、楽になる方法は何も死ぬことだけじゃない、というところで、今回の話を始めて行きます



かわんごさんのブログ自殺を巡る力学に於いて、自殺する環境・状況を簡潔にまとめているので、拝借します

(a) 生きるのが肉体的に辛いとき
(b) 生きるのが精神的に辛いとき
(c) プライドが傷つくとき
(d) 罪悪感を感じたとき
(e) 幸せになったとき
(f) 他人にかまってほしいとき




「生きていてもしょうがない」と思う人生は、確かにあります

例えば、生まれて初めての他人とのコミュニケーションで大きく躓き、それがずっと尾を引いてしまっている人間とか

そんな人間の、自殺に至るまでを簡単にまとめてみましょうか

―――――――――

他人と関係することが酷く難しい俺のような人間は、主に(b)の理由で“少し”死にたかったですね


そこから(c)に派生します

他人が簡単そうにやっていること=人と関係することができない、出来ないことをからかわれる、そうやって自尊心が傷つきました


そして「こんなやつは死んだ方がいいな」と思う

(d)『生きていることへの罪悪感』、書き方を変えると『自己否定』に派生していき、“とても”死にたくなりました、ちなみにこの時点で小学5年生くらい。老い易い子供ですな 笑


その後、やり過ごすように学生時代を乗り越えて就職

ところが仕事に身が入らない、どうやら(b)が行き過ぎて、もう『生きるのが嫌になってしまった』状態に陥り、仕事自体も納期に追い立てられるようなものでクソつまらなくてしんどかったので「この先何年も続けられるはずか無い」と思い、ついに“どうしても”死にたくなるという、いわば人生の雪隠詰みです


このときの気分は「もういいか」「もう生きることに充分苦しんだし、いいだろ、楽にさせてくれ」といったもので、有り金をあるだけ持ってちょっと遊んだら適当なところで死のう、と考えていました


ところが死ななかった、もう死ぬしかないという状況に追い詰められて、土俵際で何故か踏みとどまりました


どうしてか、それは『死への恐怖』です、つまり生存本能が希死念慮(自殺願望)を上回っていたので、死にませんでした


またかわんごさんのブログから勝手に引用しますが、人が死なない理由は三つ

1.生きるのが楽しいから
2.死ぬのが怖いから
3.自分が必要とされているから



細かく場所は書きませんが、会社をバックレて落ちたら絶対死ぬところまで登ったんです

しかし身体がアホのように震え出し、動悸が早まり動けなくなり、遠くからパトカーのサイレンが聞こえたところで(多分俺を見つけたからでは無いでしょうが)、よく分からんが「逃げなきゃ」と思いその場から離れたという

目前に迫った“死”に、何らかの防衛本能が働いたと思うのですが、これが精神的に底が抜けていた俺に、さらに追い討ちをかける大ダメージ


つまり「生きるのが嫌なのに死ぬ勇気/度胸も持てない」という新たな自己否定感を植え付けてしまった

もうこの先は『死にたいのに、死ねなくて、生きている』という最悪な精神状態

そこで、思わぬ朗報

会社が傾き、潰れるという

普通の人からしたら悲報でしかありませんが、俺にとっては「何もせずに考える時間」が出来たことは本当に良かった

もう無いと思っていた長い“夏休み”が取れた(会社が無くなったのは7月ですので本当に夏休みという感じでした)、これでゆっくり過ごし、また自分のやりたいことをやって過ごしました



そして、精神的にも回復してきたので、また働こうとしました

いや、これは厳密には嘘です、ただ今はそういうことにして話を進めます

そうして再就職、これがいけなかった

また死にたくなり、ギブアップ、前と違うのは、もう死のうとしても死ねない人間だということが分かったのでジタバタしなかったこと、とっとと会社を辞めました


でも苦しみは同じ様に味わう羽目になった


金が無くても生きていける人間は、いざとなったら誰かに頼れて、衣食住を提供してくれる人だけ、俺みたいな友も仲間もいない奴が生きて行くには金がいる、しかし金を稼ぐ手段が続けられない

いよいよもって“死ぬしかない”ところまで来ました


ただし、死ねない、とも言ってられない、でもどうしたらいいのか分からない


死にたい死にたいと自分の部屋をのたうち回って、考えて考えて考え疲れて寝る、寝られないときは外を歩いて身体を無理やり疲れさせて寝る、そういうことばかりやっている合間に、音楽とか映画とかを見たり聞いたりして、心身ともにリラックスしてきました


そしてまた再就職?いやいや、それはもういい

そう、もういいんです

俺は諦めました


考え続けて、ようやく出した結論が、諦める


俺を苦しめてきたことは


・人と関係を築くこと

……音楽を通して、人間同士のコミュニティに入ることはできたが、その関係を続けることはできなかった

つまり別に人と話せないわけでは無くて、継続できないだけだ、ならば、人と関係を築くことは諦めればいい、人と繋がって無くても別に死なない


・人に好かれること

……思えば、人と話したりする上で一番気にしていたのが『その人に嫌われたくない』『好かれたい』という思いだった、まぁ生きているうちの半分くらいの年月嫌われていたので当然かもしれない

ただ、そんな捕食者に怯える獲物のような心持ちでしか人と関係できないなら、そんな考えは捨ててしまった方が良い、人に好かれなかったからって別に死なない


・就職する

……職に就いてやりたいことなど何もない、独身男一人生かすならアルバイトで十分、どうせ最後は死ぬんだから好き勝手に生きる



その他、恋愛も、夢も、信念も、健康も、年長者が言う『良い人生を送るためのレール』に乗ることも

とにかく『自分もしくは他人から求められている本当はやりたくないこと』は全部無視して諦めて『自分に必要なものとやりたいこと』だけを手元に置いてみました


すると、自殺する必要が無くなった


なんだこれ?と狐につままれたような思いで周りをキョロキョロと見回すが、“自殺”が自分の絶望だらけの心から消えていた


簡単なことでした

最初から、やってみて無理だと思ったその時に諦めてしまえば良かったんです

上に書いたものは、全部トライしました、ただ出来なかった、どうしてもできなかった、だから諦める、ただそれだけのことに気付くのに20年以上かかってしまった、やっぱり俺は生きててもしょうがない阿呆のようです


いや、それもあるんですが、この世界に生きている大多数の人が『諦めなさすぎる』のも悪いと思うんだ

みんな何回倒れても立ちあがって立ち向かって行き過ぎだから、なんか俺もそうしなきゃいけないと思ってしまったんだ

だから「生きたい」と思う人は苦手、諦めない人は苦手なんです 笑





親愛なる自殺志願者へ


≪“そうでなければならない”人生など無く

“ひとつ諦めたら全てが終わってしまう”人生など無い

今貴方を苦しめているものの正体が分かっているのなら、一度それを諦めてみてはどうだろう

生きることを難しくしてしまっているものの正体は、実は貴方自身が本当に望んでいることではないかもしれない

生きることを諦める前に、死ぬ前にまだ諦めることがたくさんあるかもしれない≫




長々と書きましたが、要するに辛いこと、嫌なことから逃げまくっているということであって、それに対して否定的な意見を持つ人もいるでしょう

諦めない人生、良いと思います、ただ俺にとってそこにメリットが無い、諦められなかったことが自分を苦しめてきました

『諦められないから死ぬ』なんてバカバカしいことにならないために諦めるんです、どうかご容赦を


―――自殺願望が頭から無くなったとはいえ、死ななくなったわけじゃないし、いわゆる社会不適合者であることは変わらない身の上、最期の時は寿命より早く来るでしょう

ただ、長い間、死ぬことばかり考えて、自分の死を見つめてきたせいか、いつかやってくる終わりに対してとても醒めた自分がいます

いつか生きることも諦めなければいけなくなるのかなと、たまに考えます、でも今じゃないから良いんです、将来も未来も、とっくに諦めましたからね