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今日は近所のお寺で勉強会でした。
写真は近くにあったカフェです。

先生は、真言行者とは何か、伝統的な説を教えて下さいました。
真言行者は本来悟りを得た者であり、只々一念発起し、衆生済度、すなわち他の魂の助けになるべく生まれて来るのだ。今世悟りの境涯に無かろうが、来世動物に生まれようが、関係無いのだ。
 只々、衆生済度の為にこの世に生まれて来るのだ、というのが、真言宗の導き出した「人の生きる意味」のようです。

既に悟りを開いている。
弥陀の本願や、修証一如を思いおこさせる言葉です。

 先人達がそれを本気で実践し、そのような想念の流れ、即ち伝統を残した事はリアルに肌で感じています。

 そのようなお話を聞いている最中に、檀家さんの不幸のお知らせがありました。
 真言宗の葬儀は、出家式から奥義の伝授までをギュッとまとめて亡者に伝えます。
 つまり、真言宗の葬儀で送られた方々は、真言宗の行者「衆生済度の為にこの世に生まれて来た」方々なのです。
 このようなタイミングで連絡が来たという事は、この事をお話せよ、という事かと思い、枕経を終えた後、伝えさせていただきました。

お父様は真言行者であり、いずれかの時に悟りを開かれ、その後はみんなを助けるために、この世に生まれてこられたのだ。
真の幸せを知った上で、他の魂を救う為に働いた人生を送られたのだと。

良いお話を聞かせていただき、感謝しています。
故人さまには、真言の道を歩む同志を送るつもりで、お見送りさせていただきます。

発心すれば至ると申しますが、原因と結果は一つのプロセスを頭で切り分けたものでそれ単体で実在するものではありません。過去と未来、修行と悟り、全て相対的なものです。
その事を考えさせられました。