23日 am 0時

深夜になり、痛みも疲れも限界で、本当にもうだめだと思った。

だめ。無理。もう嫌。

口から出てくる言葉はこの3つ。

自分は安産だと信じていたし、

こんなに長く陣痛に耐えるとは予想していなかった。

陣痛の痛みでお母さんにつらくあたってしまい、

そんな余裕のない自分と情けなさで涙が出た。

誰にも変わってもらえないつらい陣痛に、

これ以上は耐えられないと、助産師に助けを求める。

陣痛促進剤を使って。

帝王切開にして。

とにかくこの痛みを何でもいいから取って!

出てくるのは弱音ばかり。

期待で一杯だった出産への想像を、はるかに越える辛い現実。

7分間隔で陣痛が来てから24時間。

体力的にも痛みに耐えるのは限界だった。

しかし助産師は、

「痛みは産まないと治まらない。赤ちゃんも頑張っているのよ。

深夜なので促進剤は使えないんですよ。」

と言われる。

この時、初産婦の浅知恵で、

医学の進歩を遠ざけた自分を心から呪った。

最初から陣痛促進剤で産んでいたら、

もうとっくに娘を抱いていたはずの自分。

なぜあんなにも自然に産むことにこだわってしまったのか。

バースプランなど、出産経験のない私がたてられるはずなどないのだ。

23日am 2時

私があまりに痛がるので、医師の診察を受けることになった。

しかし医師は、

「順調です。痛みはみんなが同じように耐えています。

赤ちゃんも頑張っているのだから、お母さんも頑張って。

もうすぐ破水しますから、朝方には生まれますよ」

と言われる。

しかしその時、子宮口は相変わらず4センチのまま。

くそー。どんなに勉強したって、男にこの痛みがわかるもんかっ!!

男性の医師に対して、心の中で悪態をつく妊婦。

医師の言葉に涙目の私を見て、気の毒に思った助産師は、

卵膜を破って破水させてくれた。

ぱちん。と音がして、温かい水が大量に流れたのがわかる。

「これで陣痛が強くなりますからね。あともう少しです、頑張って!」

痛みと痛みの間に必死に歩いて診察室から戻り、

陣痛室のベッドに横になる。

もう体力の限界で、自分がどうなっているのかよくわからない。

破水したからか、本当に陣痛は強くなったが

腰の割れるような痛みから、いきみたい痛みに変わる。

痛みの質が変わったからか、少し楽になったように感じる。

しかし今度は、お尻を押さえていないと痛くて体がよじれてしまう。

どうしても我慢できずにいきんでしまうと、水が出てくる。

ダーリンは、腰をさすりながら、

お尻のあたりを手で押すというマッサージをずっと続けてくれる。

テニスボールの上に座ると痛みが少し和らぐ。

中学の時、テニス部の幽霊部員だった私が、

こんなところでテニスボールの世話になる。

交替した母が同じようにマッサージしてくれるが、

男の人の力で、思いっきり押してもらわないと痛みが消えない。

助産師さんは、深呼吸して。というが、

陣痛が来ると力が入ってしまい、力を入れると痛みが増す。

陣痛と陣痛の短い時間の間にうとうとしては、痛みで目が覚める。

ダーリンも、私の隣で腰をさすりながら、いびきをかいて眠っていた。

寝ていても手は動かすというすごい技を、この数時間の間に習得したダーリン。