22日 am 5時

お母さんが心配して病院に来た。

陣痛の時に強い痛みはあるものの、

陣痛と陣痛の間はお母さんと話したりして、いたって普通。

「こんな大変なこと、お母さんよくも3回も経験したね。

大変な思いをして産んでくれてありがとね。」

なんて言ってみる。

食欲は無く、吐き気がするので、朝ご飯は食べられなかった。

腰が割れるように痛い。じっとしていられない痛みが5分~7分間隔で起こる。

そのたびにダーリンが腰を強くさすってくれ、痛みが和らいだ。

22日 pm 12時

お昼過ぎ、汗でびっしょりになった体を助産師さんに拭いてもらう。

陣痛室は新生児室の隣だったからか異常に暑く、

母もダーリンもみんな汗だくだった。

陣痛は7分から10分間隔になってしまい、

その感覚で陣痛はずっと続いていた。

何か飲んだ方がいいと飲み物をのむけれど、すぐに吐いてしまう。

陣痛は遠のかずに来るのに、子宮口は開かない。

いったいいつまでこの痛みに耐えるのだろうと、

終わりの見えない陣痛の痛みに涙が出る。

夕方、姉が心配してお見舞いに来てくれた。

嬉しくて、そしてほっとして涙が出た。

私が陣痛室に入ってから、すでに2人の妊婦さんが出産し終えて行った。

一人は水中出産で2人目らしく陣痛はあっという間に1、2分間隔。

水に入るのに、ビキニの上を着るか着ないかで悩んでいる。

陣痛1,2分間隔の極期に余裕かまして、そんなことで迷うな!

水着など、どうでもいいからさっさと産め!

もう一人も、ほとんど陣痛室にいることなく分娩室へ移動。

ああ、羨ましい。私が彼女だったらどんなに幸せだろう・・・。

そして水中出産のママは、

産んだ直後に分娩室へ歩いて移動し後の処置をした。

人間ってすごい。

全部聞こえている環境も、聞いている余裕がまだある自分もすごい。

陣痛が辛くなってきて、痛みで壁を叩く。

「うーん。」と声を出さないと痛みが和らがない。

申し訳ないことにカーテンの向こう側では、

妊婦さんの院内見学が行われており、

陣痛室と分娩室の見学をしていた。

「うーっん。うーうー。ふー。ひぃー。」

そんなうめき声に、壁を叩く音。

出産前の妊婦さんをムダに不安にさせる、陣痛真っ只中の私。

すまないが、君達に恐怖を抱かせないようにする余裕は、

今の私にはない。

ついでに、隣の陣痛室の妊婦さんにも、その余裕はなかったようだ。

「ぎぇー。」

22日 pm 7時

内診をしてもらうが、子宮口はやっと4センチ。

今夜は生まれない。

そう思うと、痛みの中で過ごす夜は途方もなく長く感じた。

陣痛で腰が痛むたび、ダーリンは全力で腰をさすってくれ、

お母さんもダーリンと交代で腰をさすったり、

飲み物を買ってきたりといろいろ面倒を見てくれた。

一緒にいてくれたことを、心から感謝していたけれど言葉にはできなかった。

夜になって一番上の姉が面会に来てくれ、腰のツボを押してくれた。

姉はマッサージの仕事をしていてツボを心得ている。

嘘みたいに痛みが消えて驚いた。

神の手があるとしたら、あの時のあの手は間違いなくそうだっただろう。

姉のマッサージが1万7千円であるにもかかわらず、払う人の気持ちがわかる。