昨日出逢ったコトバ
「因縁縁起」(いんねんえんぎ)について、またふと思った。
因縁縁起は、「因と縁に縁(よ)って起こる」つまり、世の中の物事というのは全てまず原因があって 、そこに様々な条件がそろって、初めて起こるという意味。
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因縁の「縁」の意味する「条件」というのは、出来事。環境。と、そこにあるすべてをどういう風に受け止めるかという「外側」の出来事や環境に対する自分の姿勢。
それから…
何のために そこにいるか
どんなきもち、どんな思いをもってそこにいるのか
…という自分の「内側」にあるもの、自分のあり方。
外にあるもののとらえ方も、内にある思いも、ともに「縁」のひとつなんでしょうね。
あたりまえか…な。
でも、昨日は自分の内側にある気持ちには、思い至らなかったのです。
今になって思ったりしてみているのは…
「因縁」と言われる 原因と条件があって
そこに生まれる結果とか変化には
どんな自分の思いが作用しているのだろう。
なんのためにと、何を成そうと、
自分はそこにいるのだろう
…ということ。
自分にとっての「起」(結果)を意味づけるのって、
その「思い」なのかもしれない。
そして、「成長」について また、思うのです。
人の成長って、目に見えるものではなくて、感じるものなのだとしたら
そこにいこうとしてもっていた自分の気持ちがスタートなのだと。
「成長したい」という気持ちは、
ただ、自分を「満たしたい」という意味。
そんなのじゃなくて、
何のために、どうなりたいのか…
成長という「過程」において、
何を思って、一歩一歩を踏んでいるのか
そういうのこそが「成長」を感じることにつながってるのかな、とふと思ったのです。
何のために、変化するのか。
それがわかって変化しようとする一歩一歩が「成長」…?