久しぶりの台所ジャックシリーズ&絶食生活のおもひで | 一条の光~ダブルストーマ(人工肛門・人口膀胱)と日常と

一条の光~ダブルストーマ(人工肛門・人口膀胱)と日常と

大腸がん治療のため骨盤内臓全摘術を受け、人工肛門と人口膀胱(ダブルストーマ)を持つことになった41男が、ストーマや日々のことをつづります。17年11月に局所再発が見つかり、現在そいつと向き合っています。

久々の「男たちの台所ジャック」です。
料理はほぼ毎日やっているのですが、たまには珍しいものを作ったとしても、これわざわざアップするようなものか!?と自問自答しているうちに旬を逃してそのままにしてしまう、というパターンに陥っていました。

えー、前置きはさておき、さっそく本題に。

おととい土曜日に、近くの農協直売所でたけのこを見つけ、時間もあるし、ぬかもあるし、自分で茹でてみようという流れに。

鍋で小一時間茹でて硬さもちょうど良くなったので、皮をむいて、むいて、むいて、むいて、、、
元の大きさの5分の1位になったころに(涙)、ようやくその姿を現した筍本体。

昨晩はその筍と、塊で買った豚の赤身、ピーマンを使って、、、

ここまで言えば、あれですね、青椒肉絲。

普段は炒め物もなるべく手間を省いてやるのですが、昨日は一切の妥協を排し、下味つけから油通しまできちんとやりました。

おれの本気を見ろ!!

と、台所で1人叫ぶわたし、、、何が起こったのかとトコトコ見にくる次男、、、。
ふたりでニヤリ。

そして完成品がこれ!



嬉しさのあまり、思わず写真を撮ってしまう。
味は濃くならないように作りましたが、素材の味のハーモニーがよかった。

4人で食べて、あっという間の完食でした。
そして、食後、うまかったと1人自己満足に浸るわたくし。

学生時代の自活で、炒め物は結構手間なくできるので、中華料理の本を買ってきていろいろ作っていました。うまい青椒肉絲を作りたくて、昼と晩に毎日のように青椒肉絲ばかり作っていた頃もありました。(おなじものを毎食たべても平気な人間です。)
そう思って逆算すると、炒め物歴20年かい!?

ま、まぁ、それはともかく、、、
最近の食へのこだわりは、大腸がんになったということも理由のひとつですが、やはり病院での絶食生活の経験がかなり影響していると思います。

病院に入院するまでには、もうまともな食事を取れなくなっていて、バナナやウィダーゼリーでしのぐ毎日で、それでも働きに行ったりして、もう立てないほど弱って仕方なく近くの医者に点滴をお願いしに行ったり(そのころには総合病院に通院はしていたのですが、そういうことは頼んでもしてもらえませんでした。)。
で、病院に入院してからでっかい腫瘍が見つかって、食事をすると腸閉塞になると言われて。

それが分かってからは普通の点滴ではなく、中心静脈カテーテルで濃い栄養を入れようということになりました。

中心静脈カテーテルというのは、右の首の付け根の大静脈(?)に少し太い管を入れて、心臓の近くまで通して、心臓に直接栄養を送る、というものです。太い管なので、濃い液を入れても詰まらないのだと、そういう話でした。

これを入れるときがまた酷かった。内科の若い医師と研修医が2人がかりで首に針を刺すのですが、血管にうまく入らないからと、15回以上(途中からかぞえてました)太い注射針を刺しまくり、

「もうやめてくれーー」と叫んでも、「いえ、やめません!」というsギミの女医さん。

30分で終わると言われた簡易手術は結局2時間かかりました。

うまく入ったのは、エコーの機械を新しいものと取り替えたから。

そのあと、2人が病室に何度か謝りにきました。

恐ろしいことに、そのとき刺された注射針のあとは1年以上残って、刺された数を数えられるほどでした。

ともかくそこから入院していた1ヶ月の間、絶食生活。

水やお茶は良いというので飲んでいましたが、しばらくはそれだけ。でーーっかい大塚製薬の栄養剤の点滴袋を下げて、ひたすら耐えました。

テレビをつけても料理番組とかレストラン紹介とか食べ歩きとかそういう番組ばかりやっているので嫌気がさしてテレビも見ず。廊下に貼られている献立表をずーっと見てました。食べたいなぁと思って。

でも不思議なことに、4、5日も経つと、空腹感が薄れてくるんですよね。腹が減らなくなる、というか。その後、アメなどはおkになって、アメやキャラメルを狂ったように食べました。食べ始めたら、止めようと思っても止められない。もうこれは止められないんだ、仕方ないんだと思ってなるべく体に悪くないものをと思ってブドウ糖だけのものとかを舐めてました。それでもハマったのが森永の塩キャラメル。今では食べることはないですが、あの味は、この先も忘れられないでしょう。

その入院の終盤、抗がん剤で腫瘍を小さくしなければ手術はできない、その抗がん剤も効くとは言えない、と外科医に告げられ、セカンドオピニオンでも同じように言われ、自分でその病院を去った後は、雑炊ばかり食べました。もちろん腸閉塞覚悟です。それでも1日1食とか、食べられる量が次第に減って、最後は骨盤内臓全摘をやる前の一時的な手術で人工肛門を作るまでは、まともな食事はできませんでした。

食事が取れるようになったあとの病院食は、絶品でした。特に牛乳が美味しかった。何でも美味しかった。病院食がマズいと、時々そういう感想を見かけますが、わたしにとってはあんな美味いものはなかった。

今がんばっておられる方、状況が好転するよう、祈っています。