俺が酒を本格的?に飲み始めたのは、親元を離れ、小さな地方都市の大学に入ってからである。住まいは朝、晩2食付いて月3000円(後に3500円になるが)の「寮」に入ることになった。お金が無かったせいだ。

唯、昔は周りの連中も似たようなもんんで、300人が定員の男子寮に皆入ってきた。6畳の部屋に3人だから、狭いってもんじゃない。机が3つ並び寝る時は各々机の脚に頭を入れて寝た。東北地方で勿論冬が寒いのだが、火災が不安ということで、暖房器具が使えなかった。何せ戦時中東大のモルモット研究所として使われていたという「伝説」の、今にも倒れそうな建物だった。だから唯一許可された「豆炭アンカ」を足元に暖をとって冬をしのいだ。


こんな貧しい学生生活の楽しみは酒を飲むことだった。唯金が無い。そこで皆で出し合って一番安い「オーシャンウィスキーを調達、不味いからそれをコーラで割って、コップで一気飲み。それから寮の廊下を走り回る、、、。酔いが回るまで。殆んど一人で飲んだ記憶が無い。いつも誰かいた。

又この寮には悪習があって、新入寮生は1年間は先輩が酒をおごるということに決まっていて、金のない先輩たちは、いつ後輩に酒を飲みに誘われるか戦々恐々だった。

その頃の俺達の強い味方、それは「奥の松」という安い合成酒だった。なんでそこまで不味いかって思うほど辛口(殆んどアルコールという感じ)のためか、直ぐ悪酔いする。そしてお決まりの「強烈な二日酔い」。後輩が一人二人と倒れると俺達はニンマリしたものだった。


40年ぶりに同窓会で会った同期に聞くと、いまや「奥の松」はお酒の名ブランドだという。どれだけの人が

「奥の松」におびえ、どれだけの人が狂喜したか、そんな歴史を今誰も知らない、、。


中には酒が飲めない、直ぐ倒れる奴がいた。車座で手拍子で歌を歌わせられる、茶碗の回し飲みで酒を

飲まされる、厭な人には、これほどつらい経験はなかったろうが、当時俺は気もつかなかった(反省!)。

だから酔っぱらうとどういうことになるか予想がつかない。道の真ん中で服を脱ぎだしてそれをきれいに畳んで寝ようとする。至る所で吐く。あの時代なんであれだけ「酔っ払いが多かったんだろう。


うれしい時、頭に来た時、悲しい時、なんでも「酒」だった。深酒、頭ががんがんで、そんな朝は痔も痛く、トイレまで這って歩いた。何回「もう酒は止めた」と禁酒を誓ったことか。

昔の時代がそれほどすごしやすかった訳じゃない。ストレスにみんな強かったわけでもない。

職場でも近所でも心療内科に通う人を多く目にする時、「酒」の功罪をふと思う。

あの時代、治療薬が「酒」であり、ドクターは酔っ払い仲間だったんじゃないのか?


いまや酒自体も「洗練」され、飲みやすく、後味もいい。酔うのが目的でなくなった。

酔いつぶれない、悪酔いしない、吐かない、二日酔いしない、痔にならない、、、、そして高い、、、そんなのが酒かよ? 「よしっ! 飲むぞ!」が合言葉だった時代がよほどいい。


酒を飲み、人生を語り、歌を歌う、いつの間にか、みんなつぶれている、、それが酒だ!

だが医者に行くと「喫煙」の次に「飲酒」が悪習あつかいだ。酒飲みになんか、職場でも中生代の恐竜みたいに近づかない。君たちは悩みが無いのか? ストレスはどうしてる?

酒はいい。コニュニケーションだって、もってこいだ。もっと酒を飲もう!

おじさんとのもう!

(何でこんな時代になってしまったんだろう?)


あのとき、あの居酒屋での光景が目に浮かぶ。隣に座っていたやつが涙をため立ち上がって叫ぶ。

「先輩!アドバイス有難うございます。帰ったらきょうこそガツンといわせてやります。俺も男です!」

どうだ?酒っていいもんと思わないか?