どうも、はちごろうです。


先週末から寒暖の差が激しくて、
ずっと頭痛、鼻水、のどの痛みが続いていたんですが、
ついに気分的な部分にまで影響が出てまして。
まぁ、一時的なもんだということがわかってるんで、
特に心配はしてないんですが、やっぱりしんどいです。
さて、気を取り直して映画の話。




「ビフォア・ミッドナイト」











イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー共演、
リチャード・リンクレイター監督による恋愛ドラマの完結編。



あらすじ


アメリカ人作家のジェシーと環境問題活動家のフランス人女性セリーヌ。
二人は18年前のウィーンで運命的な出会いを果たし、
9年前にパリで再開したことをきっかけに結婚。
双子の姉妹とともにパリで幸せに暮らしていた。
ある夏、一家はジェシーのファンであるギリシア人作家の家に招待され、
ジェシーと前妻との間に生まれた息子ハンクも
夏休みを利用してギリシアに遊びに来ていた。
ジェシーは現在酒浸りの前妻の元には置けないと思っていたが、
離婚時の裁判所の命令により、ハンクを自分で育てるには
アメリカに移住しなければならなかった。
ハンクを空港まで見送った帰りの車中で
ジェシーはそのことについて話し合おうとしたが、
知人の政府関係者から引き抜きの相談をされていたセリーヌは
「アメリカには行きたくない」と反論、口論となる。
明日にはギリシアを発つという前の晩、
二人は同じく作家に招待された彼の友人夫婦の計らいで、
子供たちを教授の家に置いて二人だけでホテルに一泊するが、
ハンクのことで口論が再開。二人は互いの思いをぶちまけてしまう。




18年越しの愛のドラマ、完結編



本作の監督はリチャード・リンクレイター。
一番メジャーな作品でいうと「スクール・オブ・ロック」ってコメディですね。
ロック好きの中年男が音楽講師に成りすまし、
私立の名門中学で生徒たちにロックの知識を叩きこむという話。
しかし、なんといっても彼の名前を一躍知らしめたのは
本作の一作目にあたる「恋人までの距離(ディスタンス)」。
(DVD版では「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離」)
列車の中で偶然知り合った男女がウィーンの町を夜通し歩きながら
次第に距離が縮まっていく姿を描き、熱狂的なファンを生んだ。
そして9年後に製作された続編の「ビフォア・サンセット」。
ウィーンでの出来事から9年後にパリで再会した男女が、
彼が帰国する飛行機の搭乗時間までの間、
パリの町を散歩しながら再び距離を縮めていく。
そして「ビフォア・サンセット」からさらに9年後を描いたのが本作。
つまり、このシリーズは一組の男女が出会い、
互いに会話を重ねることで心を通わせ、
知人から恋人、そしてその先の関係に至るまでを
18年の長きにわたって描いた壮大な物語の完結編なのである。




「編集点のない日常」を編集する技術



で、この「ビフォア~」シリーズの売りとなってるのは、
主人公であるアメリカ人作家ジェシーとフランス人女性セリーヌが
町を散歩しながら会話をしていく姿を、延々と映していくところにある。
二人並んで歩く姿をステディカムで何分も映してる。
当たり前のことだけれど、我々の日常には編集点はない。
つまり我々が暮らす日常というのは常に地続きで、
ある一部分を切り取って語られるようには出来ていないわけです。
でも映画はフィルムの撮影時間が限られているという
技術的な制約があったせいで作中の時間を分断せざるを得ないわけですが、
しかし本シリーズではその編集点を極力作らない、
仮に作ったとしても映画の中の時間が編集されていると
観客に気づかせないように作ろうとしているんですね。
そのテクニックを駆使しているのが本作での食事のシーン。
ギリシア人作家パトリックの家に招かれたジェシーとセリーヌが
他の招待客と一緒に食事をとりながら会話をしていくんですが、
このシーンでは誰かが話し始める瞬間というものがほぼ出てこない。
必ず誰かが話し終った後に、その話題を繋ぐ出席者の話し声だけを先に聴かせ、
そのあとから喋っている当人の姿を映す、という風に編集されてるんですよ。
そうすることで映画の中の時間は寸断されることなく、
登場人物たちは会話を続けていると観客に印象付けることが出来るわけです。
イーサン・ホークとジュリー・デルピーの自然な演技もさることながら、
そうした慎重かつ丁寧な編集がなされている作品です。




観客それぞれに感想が生まれるドラマ



さて、前作「ビフォア・サンセット」のラスト。
飛行機に乗ってアメリカに帰るかそのままパリに残るかという
究極の選択を迫られたところで終わったジェシー。
そこからさらに9年経った現在を描いた本作では、
ジェシーが結局パリに残り、二人は結婚。
双子の姉妹を儲けて一見幸せそうに見える、というところから始まる。
家族全員でギリシアでバカンスに出かけていて、
夫婦仲も順調に見えるけど言葉の端々から不仲の種が見える。
そしてクライマックスでその想いが噴出するわけなんですが、
一組の男女の出会いから決裂までを描いた作品といえば
「ブルーバレンタイン」という傑作ホラー、いや傑作恋愛ドラマがありました。(笑)
実は「二人の気持ちのすれ違いの本質」という点において、
本作と「ブルーバレンタイン」は似ているところがある。
本作のジェシーは前妻との子供ハンクに対する責任を感じつつ、
セリーヌとの間に出来た双子の父親としても満足している。
だが一方、セリーヌは自ら生んだ子供だけでなく
ハンクのことも気にかけてはいるものの、
一人の女性として社会的に自立することも目指している。
というか、むしろ興味はそっちに向いているんですね。
つまり人生における優先順位が食い違ってるんですよ。
ジェシーは作家として社会的成功を収めていることもあり、
より「親であること」に対し重きを置いている感がある一方、
セリーヌにとって娘たちの妊娠は実は想定外のことであり、
家庭に縛られることに恐怖すら感じている感があるわけです。
この差がなぜ生じるか?というのは
やはり究極的には男女の性差の範疇になるのかなとは思いますが、
本作は「ブルーバレンタイン」同様、
観客一人一人に独自の感想が生まれる作品だと思います。



本作は観終わった後に誰かと話したくなる作品ですね。
とはいえデート映画には不向きかも。
だから大勢で鑑賞会をやって鑑賞後にみんなで語る、
映画ファンのオフ会の課題映画としてベストかと。



[2014年1月26日 Bunkamuraル・シネマ 1番スクリーン]