人生ムダなし ~全ては経験と呼ばれる~ vol,4 高学年 | 浪速のCEO水田理の〝人生ムダなし〟

人生ムダなし ~全ては経験と呼ばれる~ vol,4 高学年


前回までのあらすじ

 小学校3年生でレギュラーになった水田少年
学年が上がる毎にライバルが見つかったり、仲間が増えたりと日々成長しているのでした。。。

 人生ムダなし ~全ては経験と呼ばれる~ vol,4 高学年

 小学校5年生で、急遽スターが現れました。
前回登場した、宮部謙くんです。 
彼はそれまでレギュラーですらありませんでした。
しかし、父親と極秘特訓をしていたようで、
現れた時にはスゲーの一言でした。

そこで、ボクはこの球を受ける女房役を買って出ました。
理由は、自分のバッティングに活かせると感じたからです。

そして、その作戦は見事に的中します。
ボクは当時、2番キャッチャーだったのですが、
ホンマにジョーダン抜きで5割くらいの打率を残したのではないでしょうか??
ホームランを打てるタイプではなかったですが、
シングルヒットでイイなら自信がありました。
本気で、
『センター前ヒットでイイならいつでも打ちますよ』
と、思ってました。

このセリフは、高校時代のイチロー選手の言葉です。
イチロー選手は実際に7割以上打ったらしいので、
全然かないませんが。。。

そして、その時もやはりライバルの河合くんが1番ショート、
ボクが2番キャッチャーというライバル関係は続いておりました。

この年、プロ野球界でも大きな変革がありました。
スーパースター、イチロー選手の登場です。
この時、若干20歳のイチロー選手は、
振り子打法で旋風を巻き起こし、200本安打達成の大記録で世間を賑わしていました。

藤井寺球場の裏に住んでいたボクは当然、
近鉄対ORIX戦を欠かさず見に行きました。
その年のシーズン後半、練習中のイチロー選手に声を掛け、
何とサインをいただいたのです。
この時のイチロー選手のサインは、今でもボクの宝物です。

最初、イチロー選手に声を掛けた時は、
今からノックが始まるくらいの時だったので、軽く手を挙げられ去って行ってしまいました。
でも、諦め切れなかったボクたちはその場で待っていました。
すると、練習が終わったイチロー選手がすっと近付いて来て、
サインしてくれたのです。
そして、軽くですが、
『野球やってんのか??』
的な話もしていただいたのを今でも鮮明に覚えています。
一瞬で、イチロー選手のファンになりました。

その影響が強くて、6年生に上がった時に、
監督に自ら
『オレ、センターがやりたいです』
と、言いに行ったのです。

最初は怒られて、人生で初めてスタメンを外されました。。。
でも、言い出したら聞かないボクの性格をわかっていたからなのか、
それとも熱意が通じたからなのか。。。
センターで出ろと言われるようになりました。

この頃から、手に入れたいモノを何としても手に入れるという習慣がついていたのでしょうか??笑

そして、6年生になると体も大きくなって来ていました。
横に(笑)

なので2番ではなく、4番センターとして活躍するようになっていました。
この頃、ライバルの河合くんは3番キャッチャーとなっていました。
当然、4番なので、ホームランを狙いに行くコトも増え、
ホームランが増えた代わりに打率は3割くらいしか打てませんでした。

しかし、河合くんや、宮部謙くんに、
ボクと言った名選手?が多くいたウチのチーム、
北宮東部グリーンハイツは、
最強チームとして、年間で1度しか負けていないという伝説を作りました。

この時の唯一の敗戦が、全国大会に繋がる南こ連スポーツ大会という大会の決勝戦でした。
最強メンバーで撮った記念写真をカレンダーにしました。

$年商1億円の売り上げを捨て0から起業 大阪御堂筋沿いで働く28歳取締役会長兼CEO水田理の〝人生ムダなし〟

これ以外にも、地域の選抜のような、代表戦にも選抜されたりと、充実したソフトボール生活でした。
この頃、本気でプロ野球選手になるコトしか考えていませんでした。