昨日に引き続き、沢田研二さんの話題です。
週刊文春最新号(1月19日号)新聞広告にはなかった「ジュリーがいた」の連載はあるのかなぁとコンビニでチェックするとあったので、即購入。
沢田研二ルネッサンス④、「ジュリーのイメージを大切にしてほしい」周囲の善意の忠告を払いのけながら、沢田研二は不遇の二十年を歌い続けた~始まりましたね。
1991(平成3)年からでジュリー苦難の時代、、、
その前の最終章「沢田研二ルネッサンス③」をチェック
バブルに沸く1987(昭和62)年は超低金利時代に突入し、沢田研二にとっては、波乱の年となった。
1月に離婚、3月27日に京都でステージから転落したとか、、、
全く、記憶にございませんが、それにしても、痛みを訴えながら、2曲を歌ったのにはビックリしたんだなぁ、もう、、、
「容姿のせい」への苛立ち
2月録音したLP「告白―CNFESSION―」が5月リリース
♪きわどい季節を「夜のヒットスタジオ」で歌ったが、このころから太ってきたので、2階席に空席がでてきたって(笑)
そりゃ、苛立つでしょうね、、、
1988年7月にCO-CoLoが終止符、このときのLPが「TRUE BLUE」でタイトル曲が加川良作詞とか、、、、
迷走しているような気もするのですが、加川良はいいですねぇ
それと髭ジュリーもカッコいい
歌番組全盛期の終焉
「夜のヒットスタジオ」が85年にリニューアルし90年終了
「ザ・ベストテン」も89年に終了
といっても、最近では歌番組は復活しつつあって、どちらかというと「歌番組全盛期の終焉」ではなく、「歌謡番組黄金期の終焉」ではないかと、、、
そして、平成になってACTシリーズがスタート
「いざ、鎌倉だな」
いざ、鎌倉のタイトルが理解できなかったのですが、、、
1989(平成元)年からのプロデューサーは、エキゾチックスのベーシストでリーダーの吉田健
最近、音楽面で仕切っているのは、ベースの依知川伸一
やはりボーカリストはベーシストをベースに歌いたいのかもwww
セルフプロデュースへ
平成元年の紅白、ザ・タイガースでステージに立ち、沢田研二さんは、同番組史上初、同一回で二度の出場を飾った。
これは断片的に記憶にございますw
ザ・タイガース、比較的早い時間帯で、対戦相手はペギー葉山
出番順が興味深いところですが、、、、
メドレー曲は、♪花の首飾りと♪君だけに愛をだった、、、
いやぁ、まいったなぁ