Dropkick  宍倉清則 続 56歳がつながった 海老天丼 | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 昨日のアクセス数が、これまでの最高数まで伸びたので、期待に応えて?続編です。


 Dropkickという雑誌、感動させてよ、宍倉清則 元「週刊プロレス」編集次長が、2万字インタビューで登場 ブログのために会社やめました。

 だって俺らしく生きたいから・・・

 ということで、Amebaの「生きてることが奇跡!!宍倉清則のいまのキモチ」を拝見!


 宍倉氏は、国際プロレスファングラブ「MAT FAN」の二代目編集長で、初代は大分県の宮成さんという方で、昭和4345年目くらいまで、TBSの国際プロレスは馬場・猪木・大木・吉村・坂口の金曜日夜8時の日本プロレスに対して、日本勢はしょぼかったですが、吉原社長やビル・ロビンソンなどが素晴らしく、MATFANは、きちんとした印刷物であって、当時としては素晴らしい物であった。


 そして、二代目の宍倉編集長は、それを引き継いで、昭和45年のバーン・がニア初来日以降から路線変更してきた国際プロレスとともに活動してきたのであった。


 その当時、弦巻にあった宍倉MATFAN編集長の自宅におじゃまして、プロレス関連の資料を見せてもらったことがある。なんと、お家の方がてんやもんの海老天丼をとってくれました。


 関東の海老天丼は大きく2匹のっていて、初めて食べて、おいしかった。

 それまで食べたものは、海老天の海老はしょぼく、卵でといて、おいしいのですが、天ぷらの揚げかたがいい塩梅で、なにより海老が大きかった(笑)


余談ですが、関東では海老天丼ととんかつはなかなかのものであるが、それ以外は大阪のほうがおいしく、蕎麦もたいしたことはない。海老天があれば別ですが(笑)

ただし、高いところで、お金を払えば、例外はあるのでしょうが、、


その当時、たぶん銀河で上京して、試合を観て、銀河で帰っていたのでしょうか、海外や日本の古いパンフレットや写真などの資料の素晴らしさ、海老天丼のおいしさは56歳になった今でも覚えている。