同じく武庫川、紅葉ギャラリー最終章。
春には花をつけ、夏は青々とした枝葉が影をつくり、秋には紅や黄に染まる。
木々が根をおろしてじっと佇むその場所に、
まるで寄りかかるように、ひっそりと身を寄せる人たちがいる。
砂場の少女は、姉妹と手をつないで温かい明かりのもとへ戻ってゆく。
それでも、彼らが帰る場所は、「ここ」なのだ。
護岸工事の資材置き場で休む鳥たち。
一番左上の、羽を大きく広げた鳥は、この後長いこと羽を広げたままだった。
威嚇してるのか、異性を惹きつけているのか、その習性のほどはわからないけど。
「護岸」工事が終わったとき、彼らの休息の場はどうなるのだろう。
静かな流れの中に静かに顔を出す何かの標。
まるで十字架のよう。
美しく色づいた木々の下に、ずっと先まで青い帯が続く。
昨年秋に大型台風が近畿を襲って以後、川の上流に居を構えていた人たちが、
こうして下流に移動してきた。
当時の水かさは、もう少しで堤防を乗り越えそうなほど、すさまじいものだった。
「家」の脇に耕された、家庭菜園。
堤防を右に下りると河川敷、左に下りると住宅街が広がる。
横断歩道は、何を渡すのだろう。
葉は落ちるのを待つばかりだけども、
ちゃんと、あとにはかたいつぼみが残る。
思ったよりもおおきなつぼみ。
しんと冷えたコスモス畑から望む西空。
雲のすき間からまっすぐに差し込む光は、強く、神々しい。
小さいころ、この光を「神様の階段」だと思っていた。
でも、今でもほんとうにそう思う。