rose-anne

今日は、我が家ではちょっとした記念日。
私にしては珍しく、料理なんかしてしまった。
だからかどうかわからんが、今日は雨だった。
(けっこう激しい雨だったんで、おかげでウインドは休むハメに)
のっぴきならん泊りがけの用事で家を空けている父からは、
自分の代わりにこれで花束を買っておいてくれ、と事前に樋口一葉を1枚託されていた。
ちなみに父は、昔から何かの記念日には花を買ってきたりする。
普段がゴロ寝の父なだけに、そういうロマンチストな一面はけっこう好きだったりする。
・・・って、このブログを見てるはずもないからこそ、言うけど。

花を贈るのは、私も好きだ。
生だから。
いずれ枯れゆくものだけど、精一杯オーラを放っている最高の姿を贈ることができるから。
いつまでも朽ちないものだったら、何も今それを贈る必要はない。

花束を作るという仕事は、とてもテレパシックな行為だと思う。
お客がなぜ花を選びに来たのか、なぜその色なのか、ほんのちょっとの時間で探っていく。
花屋との相性の良し悪しというのは、絶対にある。
近所にある数件の花屋の中に、私と相性のいい花屋があって、今日もそこでお願いした。
なんというか、花束ができるのは、頼む側と作る側の共同作業なんじゃないか。
私がちょっと口にした言葉から思いがけない色を挿してくれて驚いたりする。
だから、当初思い描いていたものからはかけ離れたものになったりもする。
でも、いつも、最後にできたものが最高の色であり、姿なのだ。

ちなみに今日のこの花束。
毎年この日に父が選ぶのは、赤いバラ。
だからそれを基調にしたかったけども、霞み草でありきたりになるのは嫌だった。
まてよ、同系色もお洒落だな・・・。
そんな私の胸の内を、「霞み草はちょっと・・・」という一言だけで次から次に実現していってくれる。

頼む側も、作り手も、一発勝負。
私は、花屋でのこの掛け合いが大好きだ。