WATARIDORI(今日は映画記ではないよ)

興味深いニュースを見た。
ハチクマ。
長野県安曇野に飛来し、上海、そして東南アジアを廻ってまた安曇野に戻ってくる渡り鳥である。
蜂の巣をえさにすることからその名があるようだけども、
それはちょっとおいといて。

渡り鳥といえば、毎年決まった時期に決まった場所へ飛来し、 また決まったどこかへ飛び立ってゆくことを繰り返すけれども、
そのルートのメカニズムは謎につつまれていた。
それが今般、渡り鳥ハチクマに20gの小型発信機をつけた実験によって、
その飛来経路がわかってきたのだ。
驚いたことに、彼らはまるでプログラミングされたように、
過去に飛んだのと寸分違わないルートをたどって、遠い海を行き来している。
飛び立つ時期も、申し合わせたように同じなのだという。
実験を行った専門家は、
「彼らは地図も時計も持たないのに、どうやって緻密な旅をするのだろう」
と、それでもなお謎につつまれたように話していた。

知りすぎてはいけない、と思う。
偉大な自然は、絶対に神秘のままであるべきだ。
人間だって、未知なる自然に産み落とされ生かされている生き物だ。
しょせん、人間であるにすぎない。
地図や時計を持ち合わせていながらそうそう正確な旅はできない人間よりも、
他の生き物のほうがはるかに自己の能力は高い。
それは、種の存続が生きる目的であるからかもしれない。
人間は幸か不幸か、大変な知恵をつけることで「生きがい」を求めるようになった。
だから、知的好奇心と欲とが高じて、本来の居場所を越えたところまで行こうとしてしまう。
宇宙もそう、医療技術もそう。
夢や希望をもつことができるのはこの上ないことだけども、
もうすでに、踏み入れてはいけないところまで人間は踏み込んでしまっている気がする。

渡り鳥のルートを解明することで、規則正しいはずの経路の変化が気象異常を教えてくれる要素になったりもするかもしれない。
けれどもそれ以前に、あらゆる異常を招いているのは私たち人間ということだけは明らかなのだから。