china

余計なDMに思いのほか攻撃され、しかも長引きそうな雨が朝からしとしとと降っていた。
午前、午後とぶっ通しで予約していたウィンドを、初めてサボった。
今日は、体も疲れてしまった瞬間、きっと泣きたくなると思った。

そうだ、京都へ行こう。
京都駅ビルで今、『中国歴代王朝展』をやっている。
殷(1,500BC頃)から宋(AD1,100頃)の、時の王朝の至宝をピックアップした展覧会。
<br /> 会場には、編鐘(へんしょう)という宮廷楽器が奏でる音色が、静かに、ずっと流れていた。
青銅の鐘を数十個並べて音階を成すこの楽器は、なんとも純朴で透明感のある音をだす。
なんといっても一番見たかったのは、秦(200BC頃)の始皇帝陵から発見された兵馬俑。
この展覧会が来ると知ったとき、ついにこの兵馬俑の実物を見れるのかと思うとドキドキした。
今回兵馬俑として展示されているのは、武士俑と文官俑の計4体だけだけども、
かの地ではこれが6,000対も整然と列を成しているのかと思うと、鳥肌が立つ。
小学校か中学校の歴史の教科書に載っている写真を見てから、想像だけは膨らんでいた。
背はきっと高くて、硬く乾いた土でできているんだろうな・・・。
だから、思っていたよりも実物が小さかったらどうしよう、見たいような見たくないような・・・と気をもんだ。
でも、想像していたとおりの長身、190cmだった。
出土したのは私が生まれたのと同じ1979年、というのもなんだか嬉しかった。

昔の人々は、故人をほんとうに大切にする。
先般神戸で開かれていたシルクロード展でも感じたけども、
死者があの世でも幸せに暮らせるようにと、ただそれだけを願って、おびただしい数の美しい副葬品をこしらえる。
権力者の墓などは、権力誇示の意味合いも確かにある。
でも、その美しい玉衣やお守り、そしてそれをこしらえるのに要した時間と技術と、思い。
古の人と人とのつながりの深さと強さを、思わずにはいられない。
思えば、これら至宝のほとんどは、墓からの出土品なのだ。
この埋葬品のおかげで、かつての文明を知る。
では、現代の墓が、いつの日か、まだ見ぬ子孫たちにこの時代の様子を伝えるものに果たしてなり得るのだろうか。

美術展の帰りに寄ったカフェ。
隣の席で女子高生が2人、どうやら推薦で受かる見込みの大学の話をしていた。
「もし生まれ変われるなら、こんな大学行かへんわ。
頭が冴える男の子になりたいわ」
その若さで、しかも前途洋々の今、生まれ変わるなんてことを考えないで。
でも今のこの私も、もっと年上の大人から見たら、「なにをせせこましいことを頭で考えてるんや」と笑われるんだろう。
昔の人々も、こんなことを繰り返していたのかしら。