応急危険度判定 in 津南 by 阿部くん | オーガニックスタジオ新潟社長の奮闘記 │ おーがにっくな家ブログ

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「オーガニックスタジオ新潟」社長のブログ。かっこいいエコハウスを提供するために日夜奮闘中。役立つ「家づくりの知識」は、オーガニックスタジオ新潟のHPにて更新。このブログでは個人的な関心ごとと「工務店経営」についてがテーマ

日々拡大する被災地の状況の画像を見るたび心がすり減っていきます。

特に太平洋側の被災された方々、ご心労を察します。

わたしも、いわき市に長く住んでおったし、地理勘もあるし仲間もいます。

妻も茨城の出身で老いた父母は避難所です。

私の心も擦り切れてきてましております。

強がってますが、 心は正直です。


しかし、あえて、社会の喪に服さなければという

蔓延した空気に、 反感を持たれるのを覚悟して ブログを更新してきました。

仲間から黙っていたほうがいいのではないかという声も聞かれます。



住宅屋を営む者として、幾度もの災害を経たものの経験が何かしら役に立つだろうということがまずその一つ。


幾たびの災害の経験の中で、

直近の中越沖地震。 被災された柏崎市の施主に、長岡のスーパーで水とか食料とか、カートに入れて 届けて良いか所長に 「これから被災地に届けに行きます。」と電話をいれたらどやされた。

 「勝手な真似をするな。かっこつけて変なふうに思われかねないから止めろ。」と言われました。 彼を責める気は毛頭にありません。

そこから、手ぶらで被災地を回ったところの 切なさよ。

しかし所長が悪くは無い。 それが 世の中のあたり前だろうからです。  俺がおかしかったのです。


あわれ おのれの無力さよ。 そして 気丈なる被災者のけなげさよ。


遡る、最初の新潟の大災害。三条市において。 五十嵐川が決壊しました。

明くる日、ヤマダ電機に車を投げて、長靴で被災家屋を声をかけて回った。

そして、8件の水没したOBの家屋を半年かけて監督と直して行ったあの日び。

地震以上に辛かった。 きっと当時の仲間みんながそうであったと思う。


ほとんどの家屋は 感謝されたのかもしれないが、

保険が不十分で、保証がでない。そうした世帯が一つありました。

直した一部の修理を、これは建物のせいではないかと支払いを渋る。

違う。 水没したことでの剥離だが、お金が無いことから必死な施主。

あぁ 人が変わる。心もすさむ。  

結局会社からの決済はおりず、20万ほどの修理費をサラリーマンであった私が被るということになりました。

良かれと思って成したことが、いさかいの元になったという記憶。


はっきり言って、何もしない方が得だから 無いもしない人

心配だけして ツイッターでリツイーとだけしてて   良いことしたと思えば

心は満たされる。

 

人間には感情というものがありますから、しかたあるまい。 そんなものだ。



はっきり 結論から言って 

黙っているのが 今の時は一番得です。


民法のTVをみて気付いたこと。

やたら 政府広告のACしか流れません。


さすが 大企業。 CM流れたことで 目をつけられて

こいつ 自粛して無いなと 睨まれてイメージダウンを恐れた会社が

広告とりやめして 枠がなくなったための措置であるわけです。


その中で ユニクロだけ コマーシャルを見ました。

柳会長 個人で10億。寄付をしたという報道を見ました。

さすが ぶれていないのか  放映が止められなかったのか。


被災していないものこそは、しっかりと社会を動かさねばならない役割があろうという考えがもう一つの理由です。

現場の職人さんや建材屋さんも同じパラダイムで行動をしておって、奮い立ちました。 俺たちが社会をつくっているのだと。


心に痛みがあることと、行動をなすことと切り離そう。

社会の歯車を止めることは、ひいては全局的にみれば、被災者のためにはならないと考えます。 やるべきことはやろうではないか。 


日本経済というビッグジェネレーターを回しているのは、小さな私たち一人一人です。 さあ、いつもと同じようにやれることからやろうではないか。


それが 今日の私のメッセージです。


<黙っていた方が得だというのくらいは知っていても、書かざるをえないのだ>


さて、命を受けて 被災地に行ってくれた阿部君のレポートです。


朝6時に 新潟市を出発した阿部君。

新潟県建築士会の派遣要請にこたえて、津南町役場まではせ参じた。

阿部君は 疲れているので報告で知りえた様子を、オガスタ広報担当である私が代筆します。


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到着後、作業のオリエンテーリングを受ける様子。

同じように構造設計事務所の所員などいらしていた。

義援物資の水と食料は役場を通じで被災者の手に渡ることになった。





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被災地は家と家の距離が離れているために、調査して歩くのに距離がかかる。

道路は御覧のありさま。地盤が動いて下がるからマンホールの頭が飛び出る。


繰り返しますが、新潟から仙台まで個人レベルで救援に行こうとする方々の情報を耳にしますが、

ガソリンもないことと道が読めないことからおやめになったほうがいいです。

2度の震災で移動した経験でも、このタイミングは危険と思うのですよ。

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度6を超えてくると、基礎がやられる。

特に基礎の角が砕けるのはよく見る話で、鉄骨造でもよく見受けられます。





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こちらの建物は、「被災宅地危険度判定」により、すでに宅地自体が危険と判定されていたので、自動的に建物が「危険」と判定。

この家屋は、おばあちゃんが一人暮らし。 赤い紙が貼られているが、傾いたのを直して住むのか、ばあちゃんはここにとどまる。

関東から息子が駆けつけ掃除をしていた。


ここまで見ると、悲惨な感じがするかと思いきや、現場の空気は違う。

被災したみなさま、 がははは笑いながら作業なさっていたとのこと。


超陽気で元気さすが、妻有の住民は、大地から生まれてきた民である

強い。  へこたれない。


そうしたレポートを聞いて、ほっとした次第です。

以上、新潟の被災地、津南町よりのレポートでした。


阿部君 連休を取りたまえ。

おまえの経験は 新潟をよりよくするだろうよ。