三条7・13水害を振り返る。 | オーガニックスタジオ新潟社長の奮闘記 │ おーがにっくな家ブログ

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「オーガニックスタジオ新潟」社長のブログ。かっこいいエコハウスを提供するために日夜奮闘中。役立つ「家づくりの知識」は、オーガニックスタジオ新潟のHPにて更新。このブログでは個人的な関心ごとと「工務店経営」についてがテーマ

住宅請負人の人生の中で、初めての自然災害が6年前の三条市「7.13水害」です。

当日は、私はお休みで、朝、テレビを見て「どこに出かけようかな」と、天気予報を見て、三条方面は雨だから、トキメッセでやっていた何かイベントにお出かけしていました。

昼を過ぎたあたりで、携帯電話に天野先生から電話が鳴る。

「三条が水害でひどいことになっているけど、Mさんは大丈夫かなぁ?」と、心配いただくお電話があってわかった。まさか三条が水害になっているとは!!

新潟市より北はたいした雨が降っていなかったのでわかっていなかった。

ニュースを聞くと、五十嵐川より南側=嵐南地域全体に水が氾濫し、私の支店でお引渡しした8件ほどのお客様が水害に見舞われていることがわかった。



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慌てて三条に直行し、ヤマダ電機付近で車を投げ、長靴で決壊現場の曲渕地区まで土手沿いに歩く。

決壊現場からわずか200mほどしか離れていないところで、2ヶ月前に引渡しをしたI様の家が、まずは気になった。

足の皮もむけるし、蒸し暑かった気がする。

たどり着いて唖然とする。


隣の家がI様の敷地の上まで流されている。

I様の家は、敷地の土が濁流で流し取られて、改良杭がむき出しで、建物は宙に浮いている。

30mほどには近づけるが、ドロが深く長靴では辿り着けない。遠目でもすぐわかる大変な状況。

初日は被害概要を調査して、ひとまずは自宅に引き上げる。


隣の家は、軟弱だった地盤であったが、改良工事を省き、ベタ基礎でよかろうと施工したが、水害で住宅が舟のように流されてしまった。

ここは、全壊扱いになり、建替えた。

I様の家は、再び地盤から再建し、2ヶ月ほどの費用と500万円の費用で、再度住めるように直すことができた。


初日は沼の匂いがした。道路わきの側溝には錦鯉が泳いでいる。



自然災害に見舞われると、建築的な様々な気付きがあります。

その中でも、一番勉強になったのが、先人の知恵。

被害に遭ったI様は、もともと田んぼであった場所を造成したミニ開発。

新潟平野というものは、度々洪水に見舞われていただろうから、水田は水に当然浸る高さであるわけです。

かたや、ここから500mほどしか離れていない、古い集落にも、半年ほど前に天野先生が設計協力してくださって引渡ししたM様の家もあった。

M様は三条地域で最も古い農家であったのを建替えている。

M様曰く「この土地は水害になっても水が上がらない高さになっている」と、地鎮祭の時になにげなくおっしゃっていたのが思い出された。

事実、ぎりぎり床下浸水で済み、家屋被害はなかったのです。

先人たちは住むことが可能なところに住んでいたのであって、そんなの知ったこっちゃない現代人は、住めないところを住もうとしたということなのか?と感じました。



翌日は、被害家屋を巡り、水や食料品の差し入れ。また、水中ポンプや掃除道具を持って、家屋の普及のお手伝い、などドロと汗にまみれて大変切なかった。

被災地は3日目頃には、フィリピンのスラム街のような、生ゴミの腐敗したすえた匂いがするようになっていた。5日目頃からは、オスバン消毒液の化学薬品の匂いと、消石灰の散布が始まった。


事実、水害の時に一番注意すべきは感染症で、お客様も清掃中に手に少し傷をしてしまい、そこから菌が入り破傷風となり紫に晴れ上がり、あわや切断というところまで追い込まれた。

あぁ あの水害から今日で6年。 

その後2度も地震に見舞われることになるわけですが、7・13水害が一番つらかったです。