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ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教など、聖書の影響の強い圏内では当たり前の価値観ですが、「すべては神が創られた」とする創造論が、実は世界の主流です。


それと対峙するのが、ダーウィンなどから始まる進化論ですが、創造論も進化論も共に「論」でありまして、「論」というのは、科学の世界では、「仮説」と同義語です。


つまり、「決定的な証拠はない」ということですね。


私は一介の医療従事者に過ぎませんが、毎日人様の人体を見させていただいていて、「身体って、本当によくできているなぁ」と、毎日感心しきりです。


これほどよくできたものが、勝手にできたとか、偶然できたとか、私にはどうしても思えないんですね。


「とても賢い方が、愛の思いで、こしらえたに違いない」と、私は信じる者です。


私は思うのですが、「神などいない」とか、「そんなの、全部偶然さ」と仰る方というのは、きっと、「偶然」という名の神を信じていらっしゃるのではないでしょうか?


私は信じられないのです。「偶然と言う名の神」を。


ダーウィンの進化論の批判については、カテゴリー化して投稿させていただいておりますが、とにかく、身体はよくできております。


またそれだけではなく、そこには何か、「神の願い」や、「神の教え」のメッセージが込められているとしか思えないのです。



たとえば、骨で言うと、骨折した部位が治癒しますと、折れていて治った骨折線というものになりますが、この骨折線というのは、「絶対に折れない」と言われるくらい固くなるんです。


もちろん、骨折線の周囲は折れるんですけど、骨折線自体は、絶対に折れないと。


これって、不思議だと思いませんか?



つまり、人間をはじめすべての生き物は、絶対に折れないほどの固い骨を創ることができるんです。

しかし、折れない限り、固くはならないんですね。


言わば骨というものは、折れて治って、はじめて完成するところがあるんです。


私は思うんです。

人間の心も、同じなのではないか?」と。


人生の目的には、魂修行という観点があり、本来の故郷である天上界では経験できない、さまざまな出来事がこの世では起こります。


そのたびに、心は傷ついたり、折れたりするわけですけど、それを乗り越えたとき「心」は完成すると。


そこに、「神の願い」が見えると思うのです。


傷つき折れて、治って心は完成するんですけど、骨と一緒で、「正しく治す」必要ってあると思うんです。



骨だと、正しく治らないと、偽関節といって、長い期間グラグラだったり、古傷で傷んだり、正しく機能しなかったりします。


骨を正しく治すには、整形外科での治療が必要ですね。


整形外科だと、骨の解剖や生理、病理的な見解から、正しく治療できます。


解剖学とは、「体の仕組み」です。

生理学とは、「体の働き」です。

病理とは、「病気」の学問ですね。


正しい体の仕組みや働きが分かっているからこそ、正しくないこと「病理」がわかります。


この、解剖・生理・病理は、医学では代表的・基本的な学問ですが、心も同じだと思うんです。


心の解剖学・生理学・病理学こそ宗教だと、私は思うんですね。


多くの人々が、健康で長生きができて、幸福に暮らしていけるために、病院や医科大学が必要なように、心が健康で、心が幸福でいられるように、宗教も発展繁栄していく必要があると私は考えるんです。


それでは、またのお越しを。