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今このブログでは、聖徳太子のことについて述べています。

それは今の日本の自虐史観の根は、先の戦争の敗北だけではなくて、案外古代日本への、誤解から生まれているのではないかと思ったからです。


「日本は遅れた小国で、いつも大陸の中国や朝鮮から学んできた。」


そういうマインドが、日本の歴史教育からは感じ取られるのですね。

しかし、アモ~レはそうは考えないのです。


「日本は確かに、他国から学ぶ姿勢は持ってはいたが、実にオリジナリティーのある、誇るべき国家」


というのが、アモ~レから見える、日本の歴史です。

それは、縄文時代から現代にまで続く、日本の歴史の骨格に、アモ~レには見えているのですね。



そしてアモ~レは、今世界で求められている精神は、聖徳太子の時代の精神ではないかと思います。
そして日本の精神が、聖徳太子の時代に帰ることこそ、日本がそして世界が救われる第一歩になると思っております。

日本には現行憲法があります。
日本国憲法です。
日本国憲法の、平和の理念は大事だと思うのです。

しかし、この憲法には、重大な欠陥があります。
それは、本当の意味において、日本人が平和を構築する力と、具体的な方法論を持ち得ないことです。


そして最大の欠点は、日本人が自らの人としての誇りを捨てない限り、この憲法の理念を体現できないところです。
つまり、現行の日本国憲法は、武装解除し、占領された国家の憲法だということです。






アモ~レは聖徳太子が制定した、十七条憲法が好きです。


僕は日本が、聖徳太子の十七条憲法に戻るか、太子の志をベースに、更に理念を推し進めた憲法が定着すれば、日本は日本らしく、また世界も、良き手本を得ることができると思っております。


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聖徳太子が制定したと言われる十七条憲法の第1条は、その後の日本人の国民性をほぼ決定付けたと言って良いでしょう。
有名な、和を以って貴しと為す(わをもってとうとしとなす)です。

つまり、争いごとのないことが貴い・・・という概念です。
聖徳太子の思惑とは、少し違っているかも知れません。

十七条憲法第一条は、こうなっているからです。

和を以て貴しとなし、忤うことのないのを第一とする。
人は、とかく自分の利害を中心に仲間をつくったり、離れたりする習癖がある。
この我執を超える者がきわめて少ない。

ために、上長や周囲ともしっくりいかなくなるのである。
しかし、和―すなわち因縁の理を明らめるなら、この間のあり方がおのずから明らかになって、すべてのことが和やかに運んでいくようになるのである。



この文章を読むと、太子は、


「自由な議論を大切にしつつ、その中で、派閥や個人の利害を超えなさい。」

「そのために必要なことが、和を以って貴しの精神だ。」

と言っているように思えます。


これは、 「憎しみを捨て、愛を取れ!」 と言っているように、アモ~レには思えますね。


太子縁の寺院 法隆寺



しかし、その後の日本の歴史の流れを見れば、平安・江戸・戦後など、世界的には極めてまれな、長期にわたる平和の時期を多数経験しており、やはり日本人平和を大切にする心の根源には、聖徳太子がいると思われます。

日本人にとって、争いそのものが忌み嫌うべきものであって、自己主張が苦手な国民性も、聖徳太子の影響かもしれません。
もしも世界が、聖徳太子の十七条憲法を受け入れたなら、世界は争いを忌み嫌うようになるでしょう。

当時の日本は、日本神道派と仏教派による、言わば宗教戦争を経験した時期です。


太子はこの宗教戦争を、天皇を中心とした宗教日本神道を残しつつ、仏教的精神を中核に克服しました。
克服・・・と言ったのは、その後日本から、宗教戦争をがなくなったからです。

これは、世界で初めて、そして唯一、宗教戦争を克服した、超貴重な事例なのです。

はしかで生涯免疫ができるように、日本人にとっての宗教戦争は、太子の時代約1500年前のできごとで、それ以降一度もないのです。

日本では、人間の欲得のための争いに、神様が利用されることが、1500年以上もなかったのです。


宗教戦争に苦しむ世界は、日本の歴史に着目し、その精神を抽出するべきです。

また日本は、自国の誇るべき歴史を、世界に発信するべきだと思います。




世界は今、宗教戦争の時代を克服できていません。
世界は日本より、1500年遅れている・・・とも言えるのです。

それでは、またのお越しを。(^O^)/





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