全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
今日も幸福の科学の歴史の着目します。
今取り上げているのは昨年、2013年です。
2013年は、幸福の科学が本格的にこの国を守るための、具体的な言論を発し始めた年でもあります。
自民党安部総理が言うスローガン「日本を取り戻す。」ではなく、「日本の誇りを取り戻す。」ということが、幸福の科学の2013年以降のスローガンだと思います。
2013年には、韓国から二人の老女が来日しました。
元従軍慰安婦(だと自供している)の、金福童(キム・ボットン)さん(当時87歳)と、吉元玉(キル・ウオノク)さん(当時84歳)です。
この2名は、1992年から行われている、ソウル市の在韓日本大使館前での元慰安婦たちの集会に参加し、賠償を訴え続けていました。
この年の来日では、沖縄、広島、岡山と回り、5月24日に大阪市役所で、橋下大阪市長に面会する予定でした。
このときの老婦人2名は、日本各地で講演したりして注目を集め、インタビュー映像も再々TVを賑わせておりました。
折りしも時を同じくして、韓国政府の肝いりでアメリカの都市に、従軍慰安婦像が建ち始めた頃でした。
この金さんの証言によれば、14歳だった1941年、家に来た日本人に脅され、中国広東省の慰安所に連れていかれ、監視付きで暴力を日常的に受けながら「慰安婦」としての生活を強いられたとのことでした。
1日に15人程度、週末は50人を超える兵隊を相手にさせられ、その後、香港、シンガポール、スマトラ、インドネシア、マレーシア、ジャワへと、軍隊に連れられ移動を続けた とも言っていました。
吉さんも、13歳(時には11歳という証言も)の時、ハルピンの慰安所に騙して連れていかれ、気絶するほどの暴力を受けながら、「慰安婦」としての生活を強いられた。そのため、数年後、性病になり子宮を摘出されたが、その後も中国の慰安所に連行されたと言っています。
このインタビューを聞いていて、僕はこの老婦人2名が嘘を言っていると思いました。
あはは、歴史ヲタクを舐めてはいけません。(爆笑)
週末は・・・とありますが、軍隊は当然交代制ですので、現代一般的に言われる、週末という概念はありません。(笑)
つまり、どの曜日であろうと、一定の勤務体制がありますので、週末だからお客さんが増えるということはないはずです。
また、広東省と香港はまだしも、中国大陸の部隊と、シンガポールなどの南方戦線の部隊とはつながりがありません。
これらは別の軍事機能、つまり別の軍事目的があるので、大陸の日本軍が南方に転戦した歴史そのものがないのです。
ですから、金さんの証言は嘘です。
また吉さんの、ハルビンから別の中国への転戦も、同様に在り得ません。
ハルビンは満州にありますけれども、満州を統治していたのは関東軍です。
関東軍は元来、満州鉄道の護衛部隊であり、これも満州以外の中国には出向きません。
予算そのものも違いますので、別の軍隊に出向するということも考えられないです。
日本の大東亜戦争は、中国北部と他の地域の戦闘は、まったく意味合いが違います。
これらは、そこら辺の歴史眼を持っていない、何らかの組織による創作か、この2名の妄想によって誇張されたか、もしくは創作された話です。
しかし日本のマスコミや対応した行政などにも、やはりそういった歴史眼はなかったようで、この老婦人2名を、「気の毒な老人」という風潮で迎えていたのです。
そこで大川隆法総裁は、韓国従軍慰安婦と名乗る女性2名の守護霊霊言を、橋下大阪市長と対面する3日前に決行したのです。
そして、
従軍慰安婦問題が、韓国政府の後押しを受けた、国家ぐるみの活動であること。
日本国家による、強制的な連行などはなく、韓国地元業者のあっせんによる民間営業、つまり売春だったこと。
大阪橋下市長に、土下座させることが、会見の真意であること。
などが、その守護霊霊言より明らかになりました。
そしてその内容を、「神に誓って、従軍慰安婦は実在したか。」という演目で、幸福の科学出版より緊急発刊し、新聞広告にも載せましたが、当時では、書籍が刊行される前に老婦人が大阪橋下市長と出会ってしまうため、緊急チラシを作成し全国で配布しました。
そして日本韓国大使館にも、その号外チラシを届けました。(笑)
そして結果どうなったと申しますと、韓国の老婦人2名は、急に体調が悪くなり、大阪橋下市長との対面を、当日ドタキャンしたのですね。(爆笑)
きっと、「手の内がばれている。」ということで、韓国政府から撤退要請があったはずです。
2013年5月、日本は一冊の霊言で救われたのです。
「神に誓って従軍慰安婦は実在したか」なくば、世論の動向に敏い大阪橋下市長は、きっと土下座外交をしていたと思います。
さすれば日本は、永遠に従軍慰安婦問題で、濡れ衣を着せられ続け、子孫は日本人というだけで、世界から軽蔑されるところだったのです。
ギリギリのタイミングで、日本は歴史問題の奈落に落ちずに済んだのです。
そしてそれだけではなく、その後の日本は従軍慰安婦問題などに対して、強気の発言が主流を占めるようになりました。
その理論的支柱には、この大川隆法総裁の霊言や、数々の法話があるのです。
これぞ国師です。
これが国師でなくて、なんと言うのでしょうか!
国師というのが適切でないならば、日本の救世主です。
そして日本は今も、幸福の科学という宗教が護り、大川隆法という宗教家が護っているのです。
それは、これからも続くのです。
少なくとも日本が、大川隆法総裁の働きなしで護れる時が来るまでは。
それでは、またのお越しをー。(^O^)/