全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
拙ブログでは今、幸福の科学の歴史を振り返り、様々なエピソードをご紹介しながら、大川隆法総裁という御仁の、お人柄に触れるシリーズをお届けしております。
そして今は、2009年夏の、衆院選挙の時代が中心です。
さすがにこの年は、エピソードが多いですね。
なかなか先に進みません。(笑)
その2009年の夏は、我々幸福実現党員は、初めての国政選挙の政治活動に明け暮れておりました。
そして衆院選挙公示直前に、現場の党員を激震させる知らせが入ったのです。
2009年幸福実現党立党以来、激震には慣れていたはずなんですが(爆笑)、このときばかりは、天地もひっくり返るほどの驚きでございました。
幸福実現党は、衆院選挙から撤退する・・・という、党本部からの連絡が入ったからです。
その日の日中に党本部から、各メディアにも会見され、
その日の夕刊には、「幸福実現党、衆院線選挙から撤退。」という見出しで、僕の暮らす地域の地方紙にも載りました。
その連絡を聞いた僕は、正直なところ、「ああ、終わってくれるんだ。」と思ってしまいました。(苦笑)
真夏の慣れぬ政治活動の日々に、僕は心身ともに疲れ切っていたのです。
しかし・・・次の日・・・地区選挙事務所から、緊急メールが届きました。
「本日、緊急のお知らせあり。」と。
そして、やはり衆院選挙に打って出ることが、地区立候補者から告げられました。
気持ちは一度消えかけてはいたのですが、「大川隆法総裁が、やらねばならぬとおっしゃることには、決して無駄はない。」と心に言い聞かせ、再び心を奮い立たせました。
この一連の騒動は当時、あちこちのブログでも取り上げれられております。
こちらは日比野庵さんです。http://kotobukibune.at.webry.info/200908/article_16.html
さてその騒動では、一体何が起こっていたかと申しますと、実は大川隆法総裁が倒れたのです。
立党以来の激務が祟り、過労なのか、それとも2004年と同様、心臓麻痺なのかは存じません。
党総裁であり、党の顔である大川総裁が倒れたので、衆院選挙への挑戦を取りやめたのです。
衆院選挙が公示されれば、もう後には引けません。
衆院選挙公示直前に、大川隆法党総裁が倒れれば、撤退するのは当たり前の判断です。
党首を変えての選挙など、この時点でできるはずもなく、またこれまで2回の党首交代劇をしている幸福実現党にとって、大川隆法総裁は最終にして最大の切り札です。
ならば撤退こそが、正解です。
誰も文句は言わないでしょう。
そのときの幸福の科学、そして幸福実現党の幹部は、至極当たり前の判断をし、大川隆法総裁には、十分な休養を取っていただく決断をしたのです。
ここで大川隆法総裁に無理をさせ、お命に別状があっては、その後の救世活動ができないからです。
大川隆法総裁も一時は、その党幹部判断を承諾した・・・ともお聞きしております。
しかし・・・しかし・・・大川隆法総裁は・・・
幹部の目を盗み、緊急入院している病院の目を盗み、スーツに着替えて白い手袋を身につけ、タクシーを呼んで、入院先の病院から外出しようとなさったのです。
やはり大川隆法総裁にとって、2009年の幸福実現党立党は、ただの政治進出ではなかったのです。
これは何度も言うように、
自民党が、憲法9条改正解散をした場合と、同じ効果をその後の日本にもたらすためだったのです。
その総裁の願いは、着々と進行しておりました。
それは、昨日までの記事に、僕が書いております。
しかしその効果を日本にもたらすためには、幸福実現党は、選挙の最後の最後まで、戦い抜かねばならなかったのです。
でなければ、これまで総裁が激務に耐え、命がけで築いてきた、日本を守る仕掛けが水の泡となってしまうのです。
そして少し体力が癒えた大川隆法総裁は、再び白い手袋をはきタクシーに乗って、たったお一人でも、病を押してでも、街宣をなさろうとしたのです。
その総裁のお姿を見た幹部は、「もう全てを、大川隆法総裁にお任せしよう。」と、幸福実現党の撤退の撤退を決意したのです。
これが政治進出ですか!
これが、ただの売名行為による立党ですか!
かつて心臓麻痺実際に倒れ、危篤にまでなりながら、過労で倒れて、そしてなぜ負けるとわかっていて、命賭けで選挙などするのですか!
しかしさすがに、衆院選挙に出馬しようとする政治家が、健康問題を抱えていても、公表することなどできません。
ですからこの時点では、我々現場には、詳細はうやむやだったのです。
そして、幸福実現党の全国300箇所以上に及ぶ選挙区での、大川隆法総裁と弟子と信者会員とが命を削った、2009年夏の衆院選挙の公示日となるのです。
それでは、またのお越しをー。(^O^)/