私が「ワンネス」という言葉をニューエイジの誰からか聞くとき、「スピリチュアル」と同様なにか胡散臭いものを感じていた。
トム・ブラウン・ジュニアを指導したアパッチ族のケア・テイカー(シャーマン)グランドファーザーは、一族のその家系に生まれメディスン・マンになるべく修業を長老たちから課せられ、そして岩の声を聞いたり、木の気持ちががわかるようになると自然の一部であるという霊的でいう「ワンネス」を洞察した。
その状態は、静かに瞑想すれば得られるものでなく、修業よろしく命の危険と隣り合わせで自然と向き合って生きていくというサバイバルを通して得られる。
修業はそのように厳しく課せられる。
まるで職人の徒弟時代のような。
現代のように学校がなかった時代は、徒弟のように親方から弟子に技術が伝えられた。
弟子は技術を学ぶと同時に精神も学んだ。
長老は、ひとつ悟るのがわかるとグランドファーザーに声を掛ける。
「ワンネス」を認識させるための手助けをする。
「この地上で生きているものは、みなものを食べなければならないことを、まず理解しなさい。生きるためには大地からものをもらわなければならない。 どのようにしてもらうかによって、害悪になるかケア・テイカーになるかが決まるのだ。自然の恵みを受けるときは、まずそれを賛美し、心で深く感謝しなさい。 私たちが生きるためには、ほかのものの命を犠牲にしなければならないからだ。 自然を破壊するのではなく、自然に利益をもたらすように、心して命をいただきなさい。 未来のことを考えて、子供や孫にすばらしい財産を残すことだ。 自然の創造物を、もっと立派な形にして後世に残さなければならないのだ。 そうすれば私たちは大地のケア・テイカーとしての運命をまっとうしたことになる」
「だが、ケア・テイカーとしての私たちの役割は、ただ正当なものを正しい方法でもらえればいいということではない。 私たちはまた、大地を保護しなければならないのだ。 必要ならば、命をかけても、進んで大地を守らなければならない。 だから、常にケア・テイカーとして生きなければならないのだ。 私たちが何かを取るときでなく、自然にはいつも私たちの手助けが必要だ。 常に広くあちこちを歩いて、木を切ったり、刈り込んだり、植えたりして、自然が育つ力を養わなければならないのだ。 人間も自然の一部なのだから。 私たちは人びとにこの聖なる道を示し、教えることで、人間として強く成長するよう手助けすることが必要なのだ。 これが、私たちが受けた何より貴重な命という贈り物を、未来の子供たちに残していける最良の道だ。 けれども、多くの人は自分たちのやり方しか知らないから耳をかそうとするまい。 この闘いは、きっと長く難しいものになるだろう」
(『グランドファーザー』、トム・ブラウン・ジュニア著、飛田妙子訳、徳間書店、1998年、112~113頁)
私は日本の職人を育てる徒弟のことを想像した。
里山に生きる人々のことを想像した。
私は良い職人になるためには、良い師が必要だと思っていたので徒弟関係を悪く考えないが、それを制度だったみたく非難され、また法律の制度でがんじがらめに規制されたのが現代と考える。
良い師にも出合えない。
技術も精神もないような仕事の仕方は、奴隷と同じである。
現代の学校のシステムは奴隷を輩出するための学校みたいなものだ。
インディアンのグランドファーザーが啓示を受けて白人の子供のトム・ブラウンを捜してケア・テイカーの修業を課した。
トム・ブラウンは、素直に受け入れた。
グランドファーザーは、ケア・テイカーの家系に生まれたが、トム・ブラウンは、そうではない。
人種も血流もとび越えた自然の計らいがあるようだ。
トム・ブラウンは、インディアンの一族とも生活できるが、自分の生活圏にとどまり、行方不明者をハンテッドをし、サバイバル・スクールを運営する。
それが役割であるかのように「自然と生きる」ことを目的とした新しい仲間を増やしていく。◆