オオカミは家族社会である | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

犬を飼ってからというもの、犬の生態を知ろうと、これはっ・・・と思った本があったら読むことにしている。

今回は、新聞の書評に載っていて、タイトルよりもその書評の方に惹かれて読んでみた。



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動物が幸せを感じるとき
新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド

テンプル・グランディン著、キャサリン・ジョンソン著
中尾ゆかり訳
NHK出版
2012/12月


以下抜粋。


なかでも重要な発見は、オオカミは野生では暮らさず、優位を維持するためにほかのオオカミと戦うアルファ[階級第一位]のオスなどいないというものだ。 オオカミの群れとアルファについて私たちが思い描くイメージ全体が、まったくまちがっていたのだ。 何よりも、オオカミは人間のように家族単位で暮らす。父母と子どものいる家族だ。 血のつながりのないオオカミが引き取られたり、親戚(独身のおばさん)がいたり、父親か母親が死に、代わりのオオカミが加わったりすることも、ときにはある。 しかし、たいていの場合、群れのメンバーは両親と子どもたちだ。


野生の馬の群れでは、優位のオスが複数のメスを支配するが、オオカミの集団、つまり家族には、一組しかペアがいない。 オオカミの子はきょうだいや親と交尾しないからだ。 人間と同じように、両親が家族を支配する。 親は、いつまでたっても親。 五十を過ぎた大企業の社長も、母親には頭が上がらないのと同様、オオカミの家族でも、優位をめぐって子どもたちが親に挑むことなどない。


オオカミはアルファが率いる群れで暮らすとだれもが考えたのは、オオカミの社会生活に関する研究のほとんどが、人間に飼育されているオオカミで行われてきたからだ。 囚われた環境にあるオオカミの群れは、ほぼすべてが自然にできた家族ではない。 何の関係もないのに人間の手でいっしょにされた集団なので、平和に暮らす方法を考え出さなければならない。 オオカミが行き着いた答えは、通常、一組のアルファのつがいにしか繁殖が許されない、社会的階級制という特殊な形態だった。 野生では、血のつながりのないオオカミが何匹も強制的にひとつの群れにされることなどないので、このような現象は起こらない。


さらに階級制は、野生でも、動物園でも、家畜でも、よく見られるので、それも原因のひとつだろう。 大人が集団で暮らす動物―たとえば野生の馬―は、たいてい階級をつくるし、人間の飼い主の手でいっしょに暮らすようになった家畜も同様だ。


野生のオオカミの家族には、平和を維持するための階級制など必要ない。


(『動物が幸せを感じるとき』、42~43頁)



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これを発見したのは、L・デイヴィッド・メック博士で彼の研究報告を著者は引用している。


私も、以前、結構有名なオオカミ研究者がオオカミの群れの一員として自分もオオカミのようにふるまい、人間がオオカミの群れのアルファになったという、すさまじい生態を研究した日本語にも翻訳された本を読んだが、確かに自然のオオカミではなく人工的に囲いで作られた群れでアルファが観察されていた。


イヌの調教については、西洋の方が専門書が多いし理論的である。


フランスで犬を飼うことにした日本人家族の体験談の本を読んだとき、


そこにも、犬は群れをつくるとその中でボス的役割が自然に決まってくるので、人間の家族の中では犬を優位に立たせてはいけない、とある。


家族の中で犬が優位に立ちアルファ化したら、主人に逆らう犬になる恐れがあるので薬殺すると、その本にはあった。


飼い犬が許可なく主のソファやベットに上ったくらいでアルファになったと獣医師に診断を下された家族が、実際、薬殺にふみきってしまった。


これを読んだとき、痛ましく感じたが、今回のこの本を読んでそのことを思い出した。

そう、この犬は殺されなくてもよかったし、家族も悲しい思いをしなくてよかった。


ただひとつ。

誤った認識で決定してしまい、不幸を招いたのだ。


飼い主は飼い犬をかわいがっているように本ではみうけられた。


この飼い主が選んだ犬種は、一般の愛玩用に改良された犬というよりフランス原産のどちらかというと野生に近い大型犬だった。


獣医師は、それまでの一般知識によっって診断した。

飼い主は獣医師の言葉を信じた。


この飼い主はまわりの意見を素直に受け入れるようなので、マニュアルの方を信じていることが、言葉からうけとれる。


自分の飼い犬とちゃんと向き合っていたのだろうか。


そうでもなかったら、薬殺するという判断はどこから来たのか。


フランスびいきで選んだ犬種のためか。
獣医師の忠告を信じたがために、不安と恐怖に陥ったのか。


専門家の忠告を受ければ、そういえば、いままでのあの行動も不服従の行動に当てはまるのではないかと気になり、その兆候に違いないと思い、不幸な決断を下す結果となるのではないのか。■