ヘンリー・メイコウとジェフ・レンズの付き合いが12年。
千早さんときくちゆみの付き合いが、20年。
どちらも途中で気が付かなかったのかどうか。
気が付いたことがあっても、同じ目標のために、ささいなことは問題でないと大目に見ることがある。
そういうひとは、自由を尊重し、個人個人のこの地球上での生命の営みを阻害しようということは念頭にはないだろう。
決定的な決裂はどのように起こるのか。
参考当ブログ:
メイコウ氏とレンズ氏の決裂 (2012/2/21)
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11171016940.html
千早さんのブログに夏井睦医師のブログがリンクしてあった。
絶対お勧め!!
と、赤字でマークしてあったのでみてみた。
参考:
新しい創傷治療
「消毒とガーゼ」の撲滅を目指して(2001/10/01~)
http://www.wound-treatment.jp/
「湿潤治療」、「消毒するな」
こんなこと言うくらいだから、医学界ではどのような立場に立たされるのだろうと、ひとつ本をとってみた。
「傷はぜったい消毒するな―生態系としての皮膚の科学」
夏井睦(なついまこと)著、光文社新書、2009年
医療とは関係ないたとえ話を多く導入して説明しているので理解しやすくなっている。
パラダイムの内部にいる人間は、それがパラダイムだということに気付かない。 それが単なるパラダイムではないかと気付くのは、外側にいる人間だけである。(同書、170頁)
パラダイム=ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のことです。
三省堂:http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/015paradigm.html
そういえば、江戸時代の男たちは皆、丁髷(ちょんまげ)姿で歩いていた。 なぜ丁髷をしているの、と江戸時代に質問しても、おそらく「皆がしているから」という答えしか返ってこなかったはずだ。 男なら丁髷だ、と当時の日本人は考えていたと思うが、明治維新後、丁髷廃止令が発布されたわけでもないのに丁髷は速やかに衰退した。
(中略)
「皆がしているからしている」という丁髷的治療は、医学界にもある。 傷を消毒する、傷にガーゼを当てて乾かすという治療法である。 筆者はおよそ一〇年前、この「傷は消毒してガーゼを当てる」という治療が、科学的根拠のない単なる風習に過ぎないことに気がついた。
医学の基礎研究の分野では、一九六〇年ごろから「傷が治るとはどういう現象なのか」についての研究が始まり、傷が治るメカニズムが解明されてきたのに、なぜかその知識は研究者の間でしか知られておらず、実際に傷の治療が行われている治療現場には全く伝えられていなかったのだ。 偶然にも私は、そういう分野に足を踏み入れてしまったのだ。
(同書、はじめに、4頁)
「消毒廃止」に反発する医者が予想以上に多かったのだ。 これはつまり、慣れ親しんだ消毒の悪口を言われることに対する反発であり、医師にとっては「消毒をしない治療」ということ自体が受け入れられなかったようだ。 江戸時代の人に「丁髷は意味不明の風習だからやめた方がいい」と言ったら反発されるのと同じだろう。 丁髷が江戸時代人から切り離せないように、一部の医師にとっては消毒と医療は同義語同然だったのだ。
私は当初、彼らの反発が理解できなかったが、それは、「パラダイム」という概念に出合ったことで氷解した。 彼らの反応は、パラダイムシフトに直面した時に旧パラダイムの専門家がとる典型的な態度そのものだったのだ。(同書、はじめに、6頁)
ヘンリー・メイコウ氏も千早さんもご自分の目標に沿って行動したために相手の概念に合わなくなって、出ざるをえなくなった。
出たといっても、そのような方々は自分の目標をしっかり見据えているので、また新しく活動がはじまっていく。
残った方、追い出した方は、さらに自分の意見に固執し固くならざるを得なくなるだろう。
メイコウ氏がジェフ・レンズの正体を暴き続ける記事を掲載し続けるのも、今までのことの清算も含め、多くの読者に対して警告を発してのことだと思う。
これまでの恩はどうした。裏切り者め!
と言ったり、汚くののしるのは、偽光たちだけで、人間であれば、真理が見つかれば変わらなければいけない。
太田龍は、常にこのように行動したひとで、変わり続けたお手本みたいなものである。
置いてけぼりされた人たちは、丁髷的発想の持ち主だったということだ。■