英語支配 ユニクロ 楽天について考える | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

英語支配 ユニクロ 楽天について考える


ニューヨーク在住のアメリカ人で音楽評論をしている友人がいる。
私は音楽の知識がほとんどなく、ただ感覚的に聞いているのみなのだが、この人の音楽知識はかなり幅広く深いようだった。

ある時、この人が
「なぜ日本の(流行っている)ポピュラー音楽は、日本語で歌っているのに突然英語のフレーズが入るのか?」
というような事を真顔で聞いてきたのである。

私は一瞬、言葉に詰まって、なんと答えていいのかわからなかった。
「なぜ?」って言われてもね。。
ただその瞬間に私ははずかしいところをつつかれてしまったと感じたのである。

さらに、彼は突然英語に変わるのがおかしいと批評するのである。
彼は意地の悪い悪意のある人間ではなかったので、ただ本音を言ったのだろう。
それは「こっけい」という意味なのだ。
意識的にも、無意識的にも、
日本人が西洋人(特に白人、あるいは黒人)のように振る舞いたがるほど
愚かに見える。
彼等の目にはそう映るのだろう。

髪の毛を金髪にしたり、青いコンタクトレンズを入れたりするのはさぞ異常に見えることだろう。(最近はほとんど見かけないが)
日本人は軽いのりで、流行だからと、ただそのように装うのだろうが、彼等はそう見ないのだ。

「脳みそを持っていても使わなければただの家畜と同じである」とユダヤの長老は確か言っていたと思う。(本当ですね)

だからゴイム(家畜)には脳みそを使わせるな、というのである。
これはみごとに成功しているようだ。


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ブリューゲルの絵画
(*右上のぶたがナイフを自分の体に刺しながら歩いているのが笑えるが、まぁこれがゴイムということだろう。昔の芸術家はいろいろ知っていたと思われる。)
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


一般的なアメリカ人には日本人にとっての「英語(外国語)」のもつ意味がわからないのだ。

日本人のポピュラーミュージックを作る人たちが英語を使うのは、ただ何となくかっこいいからとか、かっこがつくからとか、日本語だとのれないからとかいうのが理由ではないだろうか?(違う人たちもいるだろうが)
(だいたいポピュラーミュージック、ダンスや振り付けがあっちのものだし、
ほとんど聞かないが、FMラジオで英語と日本語でしゃべるあのスタイル、もう少しどうにかならないのか。)


朝日新聞9月3日の朝刊に、朝日にしてはめずらしく「まともな事を言っている」記事があった。

「幸せな奴隷になっては行けない」
「英語支配」を批判する筑波大教授 津田幸男さん
である。
ーーーーーー*一部引用すると、

「英語は国際共通語として、ほかの言語に対して突出して強い力を持つようになりました。他言語を圧迫し、国際的な場で使わない、使えなくしてしまった。」

「出来る出来ないで格差を生み出し、差別と不平等を生じさせています。」

「happy slaveという英語があります。直訳すると「幸せな奴隷」です。支配されている側が支配されていると感じない状態、それが究極の支配です。日本の現状はこのように見えます。」

「第二に英語圏出身の人が社内のコミュニケーションで格段に有利になって、日本が「英語格差社会」になってしまいます。第三に、雇用で外国人を優先すると言っているようですが、そんな企業が増えたら、英語の苦手な日本人の学生は就職出来なくなる。日本人と日本語をもっと大事にすべきです。」


ーーーーー引用終わり


ユニクロ、楽天などの企業が社内での公用語を英語にすると発表したのは少し前だ。


ヨーロッパでは英語に対し、もっと緊張感を持ち警戒しながら対峙しているというのである。日本には全くそれがない。気がついたら回りがみな英語だらけになってしまうだろう、と。

9月16日のNHK、教育番組で(10分ぐらいしか見られなかったので定かではないが)確か、
「伝える極意」という子供(小学生)向けの番組をやっていた。
それは、日本語についての勉強のようだったが、
まず、問題があって、それに対する結論が来る。それから理由を述べる。というのである。

1. 問題
2. 結果
3. 理由

これはどこかおかしいな?と感じたのだが、日本語は最後に結論が来るんじゃなかったっけ?

例えば、
「今日は天気がよかったから公園に散歩に行った」という文がある。
これはまぁ、自然だと思われる。
しかし、番組では
「今日公園に散歩に行った、なぜなら天気がよかったから」というような事を
こどもに教えていた。(しかも三角形の図を使って)
日本語は最後に結論が来るのだ。

これではまるで英語の文法のようではないだろうか?
あまりに「英語脳」にさせたいがため、子供たちに強制してるんじゃないかと思った。
こうして子供の日本語を破壊して行くというプランのひとつなのだろう。

これにはもっと大きな問題がある気がする。
日本人が日本人である事を放棄するということではないか?
英語が中国語になる事だって可能なのだ。

日本語の危機だけではなく、日本人が失ったものは多い。

なぜ、有名デパートの広告、チラシ、ファッション雑誌などでは白人モデルばかり使うのか?
不思議に思いませんか?
いったい誰が着る服を販売しているのだ?
高級品になるほど、白人モデルが使われる傾向があるのは昔からだ。
自ら劣等民族であると言っているようなものである。

日本の衣食住すべてが失われつつある。
懐かしく感じる日本の住居、風景はどこにも見当たらなくなりつつある。
日本の住宅がほとんど西洋風になっていくのがそら恐ろしく感じるのは私だけだろうか。。
伝統的なすぐれた技術はそのうち失われて行くのではないか。

最近のNHK「クローズアップ現代」では北海道等で広い面積の山林がイギリス、中国、オーストラリアなどの超裕福層の個人、企業に買われているというので驚かされた。

渋谷の「宮下NIKEパーク」などもある。

http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100915/tky1009151839014-n1.htm

まず貧困を作り、安くたたいて買い、膨大な値段をふっかけて買い戻させる。
いつものユダヤの典型的なビジネスではないか!?

土地も精神も外国に乗っ取られるのだ。

英語を社内公用語にせよ、とはきっとご主人様である支配者(イルミナティフリーメーソンユダヤ)の命令なのだろう。

何カ国語ができても、愚かな奴隷であれば意味がない。

グローバル社会とか国際社会に勝ち残れないとか、選択肢がないようによく言われるが、
それは「彼等」の洗脳である。

価値を決めるのは常に「彼等」なのである。
「彼等」の基準に従わざる負えない状況は、
ゴイム(家畜)はいつも評価される側であり、永久に評価する側には行けないということを受け入れているということだ。

このことを深く自覚すべきであると感じる。


表現の自由とは幻想だった。
世界そして日本にも語れない事がたくさんある。
しかしそれに触れずには、真実は見つからない。

私にとっての太田龍先生の印象は、
無駄口や回り道をしないような先生だった。

本当の問題とは何か?それをどう考えるかを教えてくれた、大きな先生でした。

数回しかセミナーに出られなかった事が悔やまれる。
非常に厳しい先生だったが、同時に情の深さを感じた。
私の文章力ではどうも陳腐になってしまうのだが、いくら感謝してもしたりないので、いつかまた書きたいと思っている。


[寄稿 そら]