魚の神「ダゴン」とローマ法皇 | akazukinのブログ

akazukinのブログ

「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

魚の神 ダゴン Dagon

カトリックの司教冠、(mitre)と呼ばれる物のデザインはいったいどこから由来するのか?

なぜ法皇は魚の頭の形の冠をかぶっているのだろう?

参考サイト
http://babylon-the-great.xanga.com/672317289/item/

http://www.youtube.com/watch?v=x-WOZCPWkwc

akazukinのブログ


$akazukinのブログ


これはペリシテ人とバビロンでダゴン”Dagon”と呼ばれた「魚の神」から来るという。


$akazukinのブログ

バビロンでは"Oannes"または"Dagon"と呼ばれた人間に偉大な知識を与えた「魚の神」がいた。
どのように都市を造るかとか、数学や幾何学など、知識と呼ばれるものは全て与えた。

そして夜になると彼は海の中へ入って行った。なぜなら彼は水陸両性だったためである。

彼は人間の姿をしていたが、頭には魚の頭の部分をかぶり、体は鱗や魚のしっぽやひれで覆われていた。(魚全体をかぶっているようだ)

全ての偶像崇拝の宗教において高位の司教は、彼が崇拝する神の印を身につけることは欠く事の出来ないルールである。

多くの研究者は、このバビロニアのダゴン崇拝を初期のキリスト教会が取り込んだと指摘している。
ローマ法皇が特別な機会にかぶるこの司教冠はDagonの直接の代理者として現れているのだ。

シュメールでは魚の神は"EA"と呼ばれた。"Oannes"または"Dagon"とお同じように
半分は人であり、半分は魚だった。
彼は天国の偉大な魚と呼ばれた。

$akazukinのブログ
$akazukinのブログ
$akazukinのブログ
聖書の中には少なくても8カ所、このダゴンの事が書かれている。
他にもヨナ書のように、魚の記述は多い。

ヨシュア記 19:27
士師記 16:23
サムエル記上 5:2、3、4、5、7
歴代誌上 10:10
出エジプト記 20:4

ローマ法皇は枢機卿に礼拝される時にこの冠をかぶるのだ。
この冠をかぶるのはローマ法王だけではない。
他の司教たちもかぶる。
ローマー法皇が横になるとなおさら魚のようである。
それはそのためにそうするのではないか?

$akazukinのブログ

このダゴン神はキリスト教より遥かに昔に起源がある。

そして、ダゴンはニムロデ "Nimrod"だったとも言われている。

魚は卵をたくさん産むことから、古代バビロン、アッシリア、フェニキア、中国他では、多産、肥沃、豊富さの象徴だった。

魚のシンボルは広範囲の土地で多くの民族に広まっていたのである。
新約聖書にも至る所に「魚」が登場する。
四人の漁師を弟子にしたイエスが小さな魚を大勢の人々に与えた話や、

マタイによる福音書14:17

「五千人に食べ物を与える。」
17 弟子たちは言った。「ここにはパン5つと魚2匹しかありません」、、、、
20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。


ここで数字にも注目すると、これは適当に選ばれた数字ではないと思われる。
5+2=7
7は特に重要な数字、12も12ヶ月など、12星座、1日の半分の時間,イエスの十二弟子、等々。。
2匹の魚はPiscies、魚座、双魚宮のマークから来ていると思われる。
魚が二匹なのは雄と雌で産卵出来るということなのではないか。。

魚のシンボルは現在でも至る所にある。
人々がつけるエイズ撲滅などのリボンの印も魚である。


$akazukinのブログ


$akazukinのブログ
$akazukinのブログ
$akazukinのブログ

参考
SYMBOLS, SEX, AND THE STARS In Popular Beliefs
by Ernest Busenbark
The Book Tree San Diego California

David Icke
Jordan Maxwell


[寄稿 そら]