栃木県護国神社例大祭・栃木県戦没者合同慰霊祭奉仕 | 大前神社~神道信仰とともに歩む~

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大前神社の神主が綴るブログです。
神社はご祈祷やお祓いのイメージが強いですが、もちろんそればかりではありません。神道・神社・信仰に関わることから地域のことまで、ぐっと神社に親しみを抱いていただけたらと思います。

本日は、栃木県護国神社において、

例大祭・栃木県戦没者合同慰霊祭が斎行され、

栃木県青年神職むすび会の会員として助勤奉仕をさせていただきましたビックリマーク


本年は、戦後70年の節目の年であり、

例年よりも盛大に大祭を執り行っていらっしゃいます目


私自身、他のお宮の例大祭にご奉仕させていただくのは初めてなのでとても緊張しましたが、

吾が国の為に尊い命を捧げられた英霊の御霊に、少しでも皆様の赤心が伝わるよう、

ご奉仕いたしましたビックリマーク


大変貴重な祭典奉仕をさせていただき、

心から感謝していますニコニコ












式次第




直会



さて、

昨日、生きるということと死ぬということについて、

ふと考えてみました。




修験の行を修していらっしゃる方や信仰の山へ登山をする方は

誰しも経験されていることと思いますが、


私自身も険しい岩場などでは、

一歩右には死があり、

一歩左には生がある、

という状況を経験しています。



生と死が、その一歩に同居しているのです。



そんな状況を鑑みると、

今こうして何気なく生かされていることが、

実は常に死と隣合わせであることに気付かされます。


人生は、『死』があるから『生』が輝くのであり、

『生』があるからこそ『死』を恐れるのです。


人は誰もが、『死』に向かって生きているのです。


すなわち、生きるということは、死ぬということ。


武士道といふは死ぬことと見つけたり、という葉隠の有名な一節について

武士道=死と言葉通りに捉える向きもありますが、そんな解説とは関係なく、

私なりにストンと腑に落ちた気がしました。


武士道といふは生きることと見つけたり、

と山本常朝は言いたかったのかなと私は思います。



死を見つめると、

生かされていることの有り難さと、

命の儚さを感じます。



儚いからこそ、命は尊い。



日々、生かされていることに感謝し、

生かされている時間を大切にしていきたいと思います。



安産を願う皆さまへ

安産吉日 5月の戌の日

5月10日(日)赤口

5月22日(金)友引

です音譜


大前神社で安産の祈祷を受けていただいた後は、

境内末社の子安神社にも忘れずにお参りくださいビックリマーク


安産を守護する末社 子安神社の大神様が、

お母さんの健康とお子様の健やかな成長を守護し、

無事に安産へと導いてくださるでしょう目



神主「N」



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