報復感情に囚われるとうまく行く事も行かなくなる 効率を考えるとやめた方が良いが・・・人間だから感情があるので、なかなかそうも行かないということになっている。

経済的弱者救済の問題や、その他の社会的不公正による精神医療などの弱者救済の問題(何度も書いてるしメッセージボードにも載せてる精神医療批判してるのがカルト宗教)を見ても気づく事だが

問題や、不正義、不公正、があり、その犠牲者、被害者がいると

ヒューマニズムを装って、被害感情を煽って取り入ろうとする、というやり方があると思う。

善悪二項対立に持って行って、激しく悪を批判する、というやり方をしている、とU医師に書いたことがあった。
この時は、最初にこれを書いた時には、U医師は意図的にではなく、そうなってしまっているのかと思って書いていた。

ヒロイズム、ナルシシズムを煽ると指摘してはいた。

こころ、こころ、こころ、の大合唱で、ヒューマニズムで、利を隠す というような指摘も。

うつ病という状態に陥る人たちは、他の人が利を考えるところで、こころある行動を取ってしまって、自己犠牲的になっていることも多い。(これも限度問題で、自己犠牲的行動を取ったら、必ず問題が起きるわけでもなく、不都合な行動、全く取ってはダメな行動と言うわけでもないが)



このような心理的罠のような仕組みの説明として

もっと適切なものがあるのではないかと、気づいた。


報復感情 


これに、付け入る。


人間は、自己の尊厳や基本的人権を、傷付けられたり、侵害されると、ストレートに感情を表現できる立場にある人だと、当然怒る。
そうでなくても、気分を害するだろう事は想像に難くない。

大抵の人が、そうならないように、自分が傷付けられないように、ある程度はうまく立ち回ろうとしている。

人間の尊厳 と一口に言っても、これも限度問題で、厳密にいうと残念なことではあるが、全ての人がその尊厳を守られているか、というと、甚だ疑問なことも、場面や状況によってはあるのではないか?と思う。

そう、それを助けなければいけないはずの、お仕事 No.1といえば、弁ちゃんなわけであるが、今日割と有名な猫もののブログタイトルの弁護士で、ロースクールに批判的な意見を記している、という方のブログを読んでみて
あらためて、ショックを受けた。

失礼かもしれないが、しばらくは、弁ちゃんとしか、呼べない。 (今日中くらい)

ここまで、赤裸々に書いてあるとは思わなかったのと、裏づけが取れているとはいえない事で、際どいエピソードも載せている。誰がというのがわかる書き方ではないが、そこまでのを載せてしまうというのは、自分の体験としても、元のボス弁がセクハラ大魔王だったというあたりに照らして、考えられない事ではないと思っているのだろうから、怖い話だ。
ショックを受けた。




報復感情 と 弁護士


教育を受けた人と、そうでない所謂大衆的考え方 での 報復感情の位置付け


弁護士自身報復感情を、どう考えているのだろうか


いろいろと考えてしまうことはある。




最近ドットコムを見ていたら、思想的に偏った弁護士!という意味のあだ名に近い言い方で、私が呼んでしまっていた弁護士が

少しは反省したのかどうなのかわからないが、不貞された奥さんの質問で、モロに報復感情を書き綴っている質問に、今度は何を思ったか、親切にやり方を答えていた、のを見た。

不倫女に なんとか みたいな タイトル

人間的心情を考えると、わからないでもないし、合法的な範囲で行うなら、悪いとも言えない。

しかし、問題は、あると思う。
現行の法律というのは、罰を与える とか、報復 あるいは 意趣返し 的な事に、積極的に取り組むようにできてはいないし、それらの感情に賛同するものでもないので、
それらの感情を前面に押し出して、主張すると、裁判官も、賛成しにくくなってしまうのではないか?という指摘をしなくて、良いのか、ということ。

これも、限度があるので、もし仮に呪いのような怨言を訴状に書き綴ったとしても、証拠が固かったら、不貞の事実自体が否定されるわけではないと思うけど
基本的に、罰を与える という趣旨で、貞操保持義務違反の共同不法行為の相手である所謂愛人という人に、不貞行為の慰謝料請求するわけではなく、傷付けたことに対する代償という名目だから、相手を困らせてやろうとか、罰とか、は求めても筋違いということになるだろう。
でも、実際は、気持ちとしては、報復感情や処罰感情から、請求する人もいて、名目としてはそうでなくても、実質はその感情も認められるというか慰められるというか・・・何だかよくわからないが、そのようなことになっているように見えるが。

このようなことも、多少は言わなくて良いのだろうか?
と思った。

だって、前は、あの勢いで、依存心依存心所有欲所有欲言って、不貞で傷ついた奥さんを責めていたのに・・・

やっぱり、何かがおかしいような・・・
何が変とはっきりわからないけど、どっか変な気がする。。。



このような質問と回答を見て、考えたのとも、相まっての連想なのか

報復感情 というものの 取り扱いについて考えてしまった。


報復感情 に、反応しないと、冷たい人 ということになる場合もあるだろうし

復讐法と更生法 の違いについて なども、もしかしたら弁護士でもその理念をはっきり理解してない人も居るのかもしれない気もする。
理解はしてるけど、実践してないとか


刑事事件で、酷いなと思える人が、実刑にならないのも、これと関係ある。

痴漢4回で逮捕でも、実刑にならなかった人、というのもいるそうだ。
ドットコムに、当事務所が依頼された事件で、痴漢4回でも実刑にならなかった人がいます、という意味のことを書いている広告があった。
奥様にも嘆願書を書いてもらったとか
更生させる環境が整っています、というのを示したのが認められたのだろう。
あと、被害者への示談交渉も抜かりなかったのかも。
経済力あるからできたことだろうけど。

少年事件なんか、特に、更生を主眼になどと言って、弱い立場の人だけを、鑑別所や少年院に収容してしまう。
あれも、建前は更生のためだから、ポンポン入れられる。
もしかしたら、誰かは入れておかないと、施設の職員の仕事が無くなるからだったりして・・・

日本の鑑別所や少年院が果たして更生に適した状態の機関かどうか、なんて裁判官には関係ないらしい。。。

少年事件で、元検事の弁護士の人が付いて、自分が同居するから、と言って実刑を免れようとした事件もあったな。あの事件どうなったかな(メモ あとで調べる)



このような現状があるのに、庶民は全然知らされてない人もいるかもしれない。

悪い事をしたら罰せられる

みたいに思ってて、自分にもそのような枷をはめているから、悪い事をしたと報道された人なんかには容赦なくなるのかも。

悪い事をしたら罰せられる のは事実なんだけど、刑務所に入る というのは、社会に悪影響を及ぼす人を、社会の秩序や規範を守るため、隔離し収容するが、罰するためというより、更生させ立ち直らせるため という建前になってるはずなんだけどなぁ・・・

罰する というのも、罰を与えて苦しめるのが目的ではなく、反省してもらうためのはずなんだけど・・・


しかし、地域や文化の差はあれど、ある一定数の人たちは、罰を与える ということに積極的な気がする。
そして、それは、自分たちも抑圧されているからで、その抑圧というのが、社会の秩序(本当の秩序ではないにしても)を保つために働いている面もあり、現実としては認めざるを得ないようになっているのではないか?という気もする。


日本と北朝鮮の類似点を指摘したwikiまでできているような状況もあるので
残念ながら、社会が社会として機能してなかったり、教育が教育として機能してなかったり、ということもあるのだと思う。

このようなことは、権利侵害、人権侵害、なんだろうけど、慣習や習慣、裁量の範囲のこと、などの言葉で誤魔化されて行く場合もある。


このように、実質軽い奴隷的扱いに耐えてくれる人たちがいないと、日本の社会は成り立っていかないのではないか?という不安を与えられながら暮らさなくてはいけない変な国だと思う。

それで、その扱いを逃れることにも、罪悪感を持ったり

弁護士とか特殊な人たちは、持たなくて良いみたいだけど



軽い奴隷的扱いに皆耐えているのではないか?という思い これも限度問題だが、ものすごくこの思いが強くなると、うつ病的かも

そのような情報ばかり目に付いてしまっているのだろう。





報復感情 と 効率 について

もうちょっと、よく考えないと、うまくまとまらない


これは、メモみたいなものだから