http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1486073594

NPOの矛盾について
NPO 苦情 でgoogle 検索すると、色々出ます。 ここ数ヶ月から一年くらいの間の色々な出来事で、NPO団体ともやり取りがあり 、その矛盾を目の当たりにしてしまいました。
支援する支援すると言いつつ、市役所に苦情を出す話には叩き台がとか(意味がよ くわかりませんが苦情の文書の作成の叩き台と言う意味らしい。電話でも済む事な のに何なんだ?)色々言い出し話を進めようとしない、その間に会話にこちらの自己重要感を貶める事を織り混ぜてくる、等でした。
例えば、文盲の人にも区役所は付き添いしない、とか、DVの人でも連絡が途絶え た人もいるとか
なぜ文盲の人の話が出てくるのか?DV被害者放置宣言?!

そんな話をされると、非人道的な扱いを受けている人が居るのだから、自分も耐え なくてはみたいな心理に追い込まれ、人権救済や実際に住む処も壊されネットカフ ェに居た事もあって実害もあるのに、それを問題視したり社会に訴えたりしてはい けないような気になってしまいます。

私はこの団体に、具体的に迷惑をかけるような事が無くなって寮のある会社に入っ てから、一緒に市役所への苦情を出す事の協力をお願いしました。その前に合った 時に長期的にサポートすると言っていたからです。

DV被害者には部屋を借りる保証人の協力をしたとも言って、具体的に聞こうとし たら、それはボランティアの人だから・・・とか言い出すのです。なるつもりも無いのならなぜこんな話をするのでしょう?まるでこっちは有利なカードを持ってるよ!と言わんばかりの態度。

長期的にサポートとは、社会問題として世論に訴える事を支援する方法もあるのに 、ネットで訴えるのはしない方がいいと言われました。
個人で訴えるのと実際に合った人が支援してサイトで訴えるのでは反応も違うと思います。
その団体はHPも ありました。DVに関しても講演やカウンセリングもしてます。
社会問題として世論に訴える場合支援者が居るのをテレビやネットで見ますが、ああいうのはやはり特定の宗教や政党に属している人たちと考えた方が良いのでしょ うか?
この団体とのDV 被害者と連絡途絶えた等は会話の記録もあります。この矛盾を世論に訴えるべきでしょうか?

弱者救済は入れ子構造になっている。人形の中に人形が入っているマトリョーシカ のように。問題があるとそれを問題にする事で利を得る人たちも居る。それで問題が再生産されていく。
種類は違うけど、ユニオンバスターズと言うブログがそのあたりの構造をうまく書いていました。(極論に筆が滑ってる所もあると思う。全てのユニオンがこうでは 無いだろう。ブログにも全てでは無いだろうとありました。)

補足(「 要は文句や苦情を言うのならなんでもかんでも他人に頼るな。ってことです。 」と言う回答に対し)
公的機関を見張る必要があるから各種団体はある。苦情を握り潰される可能性があるので複数で、というのは頼っているわけではないはずだが、そういう見方をする人が居ると言うのが日本に相互扶助の成熟した社会が無いのを物語っている。


(回答が編集され、ただの煽りになってました)
相互扶助? そんな甘い考え方が大前提だから大地震が起きても津波を予測せず避難しないで溺死するわ、京都の信号が青だったので渡ったら引き殺されてしまうわって結果になるんだ。

自分の身は自分で守れ。 他人に頼るならそれにみあう金をだすのが当然!ただで他人がなんとかしてくれる なんて思うな。

http://megalodon.jp/2012-0422-2235-05/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1486073594

お金は税金を巻き上げられてるから無料では無い。ただじゃない。
他人と言う個人ではなく、公的機関なのに他人と言うのだろうか?
このカテゴリは社会問題カテなので、こういう考え方の人はカテ違い。
完全に本人に非が無い例をわざわざ出してくれてるのは、なぜ?
わざわざ自分の不当さを表して、相手を思いやってるのだろうか?
人がショックを受けたり混乱させられるのは、相手をマトモだとか良い人だと思わせられたり、または自分以外にはマトモだと思われてると思わせられた時に、自分にだけ酷い態度を取ったり不当な事を正当な事のように行った場合だと思う。
この回答は、謀らずもこちらを励ます結果になってしまった。
この人から見て、NPO がそういう主張をしているように思われたんだろう。
NPO は、ただじゃない。お金が動く。弱者救済しているという名目で職員の給料も何処からか調達してくる。税制も優遇されている。
それは、あくまで上記回答者のような考え方ではないという前提でのこと。