クラウンライターライオンズが西武グループへの身売りを発表したのが1978年。ドラフトで江川卓を1位指名し、あっさりと振られた次の年の事でした。
翌年誕生した所沢西武ライオンズ。3年後にはプレーオフで日ハムを、日本シリーズで中日を撃破し、早くも日本一に輝きました。
中日、巨人と2年連続でセリーグの覇者を倒し日本一の座を手にした立役者は、東尾、太田をはじめとするおよそ広岡監督(当時)が標榜する管理野球とは縁遠い西鉄ライオンズ出身の野武士達。福岡時代のファンが溜飲を下げた瞬間でした。
その後プロ野球史上に残る黄金時代を築くも、福岡での苦難を知る選手達が一人、また一人と引退していくにつれ、この球団を応援する動機も無くなっていきました。多分最後の現役は立花選手じゃなかったかなぁ・・・
東尾さんが監督を務めたりするとつい応援モードにもなりましたが、今では完全にニュートラル。でも西武球団が福岡時代のライオンズをその歴史の1ページに加えてくれたのは嬉しかった。
そんな折、大学時代の同級生が突然電話をくれて、「お前、ライオンズ好きやったよね」と切り出してきた。
この友人、実家は千葉のくせにいつの間にか福岡の会社に転職し、すっかり博多弁をマスターしている。何の用かと思ったら、何でもライオンズの選手の持ち物だった帽子を入手した知人がいて、「誰か好きな人いる?」と訊かれた際に、とっさに私の事を思い出し、譲ってもらってくれたらしい。
レプリカではなく、選手自身の持ち物だそうです。
一体誰の帽子なのか、それは判らないとの事。
内側のネーム欄に、ヒントがありました。
「41」
ライオンズの選手名鑑で調べると、この背番号の持ち主はこの人 でした。
木村文紀(きむらふみかず)
23歳 投手 右投右打
通算成績:1勝4敗
この選手の事を知りませんでした。
しかーし、調べてみると
2006年高校生ドラフト会議(当時はそういう制度でしたね)において、ライオンズの1位指名選手です。たとえハズレ1位でも1位は1位。
楽天の田中将大と同級生。2010年には肘の手術をしたりと苦労も重ねているようです。
2012年のプロ野球もいよいよ開幕。
木村選手、是非今年を飛躍の年にして欲しい。
そしてこの帽子の価値も高めてくれ!(笑) ← もう木村選手の帽子だと決めつけてる
阿部ちゃん、アリガトね~
それにしても・・・・
身長182cmのこの選手の帽子のサイズは57cm。
まったく、私の頭には、入らない~
はい、173cmの私ですが、頭でっかちなんです・・・・
お父さん、あなたを恨みます。
でもってその遺伝子は、しっかり我が子に。