私は読み物にしろ映像にしろ、作者の素顔というか倫理観というか、そういうものが透けて見える作品が好きです。それはフィクション/ノンフィクション、娯楽/芸術性に関わらず、出る人は顕著に出ている。意識的な人もいれば無意識の人もいるでしょう。また作品全体を通じた”色”であることもあれば、ほんのちょっとした箇所(例えばスピルバーグ作品に共通する母親役の描かれ方とか)だったりもします。私という人間は、どんなに良く出来てる作品であっても、この”色”に共感を覚えない作品や作者を認めない傾向にあります(了見の狭い男なんです)。その逆も然り。


新井順子さんの「ブドウ畑で長靴をはいて」を読みました。これがもう実に面白かったです。私的には松永真理さんの「iモード事件」以来の面白さです。
ワイン好きが高じてブドウ栽培からワインの醸造にまで手を出した女性の悪戦苦闘の数々。畑違いの世界に飛び込んで失敗を繰り返しながらも、持ち前のやる気と才気で前に進んでいく姿を自ら記した奮闘記・・・って、これ自体女性にのみ許された作品作りの方程式のような気もしますが、そこで綴られるワインが出来上がるまでの様々な出来事と共に、作者の思いや考え、人柄が全編に滲み出ておりまして、もう泣けてきます。ワインの達人としての確かな感性に裏打ちされた言葉もとても勉強になりましたし、共感と言うよりも、ただただ恐れ入るばかりです。



今年は本当に自然派のワインをよく飲みました。それまではラピエールとブルゴーニュの隠れ自然派の造り手だけだったのが、ロワールやアルザスを中心に実に多くのワインに出逢うことが出来ました(その中の多くがコスモ・ジュンのワインです)。
それらのワインに共通しているのが、すこぶる真っ当であると言う点。ワインの中に造り手の確かな想いが込められているのを感じ取れると共に、その土地へ想いを馳せたくなるワインだと言えます。造り手の”色”を強く感じる事ができます。
自分自身、何故自然派のワインに心を惹かれるのか、もう一つ整理できてないところがあったのですが、今回新井さんの著書を読んで改めて理由が判った気がします。


私は、このひたすら前向きで魅力的な女性が魂を込めて造ったワインを飲まずにはいられなくなりました。

ブドウ畑で長靴をはいて