大分県別府市が戦時中に海軍保養地だったのは有名でこのブログでも大神基地と多少なりとも関連があるため触れてきましたが、保養地を決定する軍務局の命令文が出てきました。
昭和17年2月なので開戦後というのもわかりました。
佐世保鎮守府戦時日誌にて、あるぜんちな
丸に関連する資料を探していた時に偶然見つけました。
命令文の要旨は以下の通りです。
1.要旨
戦地より内地に帰投せる潜水艦乗員及航空機搭乗員等をして成るべく速に疲労及体力を回復し次期作戦行動に支障なからしむ為各軍港附近に保険場を設け右人員に対し適当なる保険療養法を実施せしむるに在り
各軍港に作戦帰投後の疲労回復を目的として「保険場」を設置する旨が書かれています。
さらに興味深いのは以下の文面です。
(1)保険場は所要の際各鎮守府毎に之を設け其の所在地を概ね左の方面温泉地とす
横須賀 伊豆又は塩原方面
呉 山口又は別府方面
佐世保 長崎又は佐賀方面
舞 鶴 北陸方面
右保険場は各当該鎮守府の管理とす
(2)各保険場は各鎮守府の管理とす泉地所在の「ホテル」及旅館当を所要期間借用契約の上之に充つ
右の外目下建設中の木更津海軍保険所、別府海軍水交社其の他之に準ずる施設を右保険場として利用するものとす
(3)保険場は准士官以上及下士官兵に分ち且下士官兵は成るべく各基本部毎に適当に配分して設くるものとす
保険場内に於ける居室標準概ね左の如し
左官以上 1人1室
尉官、特務士官以下 2人乃至数人1室
と、あります。呉に関しては「別府」が明確に書かれてあるのがわかります。他にもホテルや旅館以外に「別府海軍水交社」等の施設も利用していたことがわかりました。
全文はホームページに記載していますので興味がありましたら見てみてください。
軍務局第86号