ピンボール・ドライブの熟成。 | 音楽食堂 しゃちょの生きているといふこと。

ピンボール・ドライブの熟成。

やはり、周年祭ファイナルで深く心に刻まれたことの一つ、[ピンボール・ドライブ]のことを記しておこうと思う。






音楽食堂10年の周年祭という、なんとはなしに姑息な呼びかけに応えるようにして、まさかのフルメンバーで復活した[ピンボール・ドライブ]は、それだけで感涙ものだった訳だけれど、それは、当時を知る者たちにとって、共通に湧き上がる高揚具合だったのではあるまいか・・・。



あの頃、音楽食堂で開催したワンマンを初め、100人の集客が当たり前だった彼らのライブは、時折催される何かのお祭りみたいにして音楽食堂を熱狂させていたんだっけ。



音楽食堂で繰り返された躍動と熱狂、新宿MARZ活動休止ライブでの聴衆一人一人を確認するように見渡していた[陽一郎]の佇まいを、今改めて想い出す訳だけれど、あの頃を知る者たちは、みんな漏れ無く5年という歳月をそれぞれに生き、共通だった当時の想いでを噛みしめるようにして再び音楽食堂に集ったのに違いない。






おれは、リハーサル中、早速人知れずひと泣きした。



ブランクを感じさせぬどころか、直ぐ様そこに確認したのは「熟成」であって、メンバーそれぞれがそれぞれに生きた5年間の生きざまは、長かったはずのブランクなど何するものぞであったのやも解らず、それを埋めることは、案外容易かったのかも知れない。



まずは、目の当たりにしたその光景に驚いた。









そして、迎えた本番・・・。



あの頃と同じ[ピンボール・ドライブ]のSEが響き渡るや、そこからは、まるで当時にタイムスリップしたかのような光景が展開されて行った。



音楽食堂 しゃちょの生きているといふこと。



あからさまに変わったのは、[岡本さん]と[さとシックス]の立ち位置くらいか・・・。



演奏曲の全てが懐かしく、そして新鮮だった。



かつてなかった人間味が加わった[ピンボール・ドライブ]は、それを大きな武器として、聴衆の胸を突き刺し、抉った。



そこに感じた「熟成」には、確かな理由があった。



それは、離ればなれとなっていたメンバー各々の経験と成長がもたらせたバンドとしては当然のスキルアップだったように思う。









おれの胸に湧き上がるのは、「あのまま続けていたら」・・・という無いものねだりだ。



いや、しかし、あの頃の状況やら、メンバー各々の心情を重んじれば、あの時の選択は、「仕方がなかった」のだろうと思う。






ただ、今思うのは、周年祭ファイナルにおける[ピンボール・ドライブ]のようなライブを、今どき、どれ程のバンドが出来るのだろう・・・といふことだ。



それを考えた時、[ピンボール・ドライブ]が実際には活動していないバンドであることが残念でならない。






次回は、5年後かな・・・10年後かな・・・。



この度感じた「熟成」が、「老化」に変換されないうちに、再び[ピンボール・ドライブ]を観たいよなぁ・・・と思う。



それは、もしかして、「生きているうちに観れんのか」・・・といふくらいの希少なことだのかも知れない・・・。






そして、今、「由佳も観たかっただろうな」・・・とか、「生きていればどれ程喜んだだろう」・・・といふことを改めて思う訳だけれど、ビヤ樽の上で体を揺らしていたあの日の由佳は、[ピンボール・ドライブ]と共にこの胸の奥の方で生き続けるだろう・・・。



あの世といふものが本当にあるのかさえ、生きている今は知ることが出来ない訳だけれど、もしも話せる時が来るならば、周年祭ファイナルにおいての[ピンボール・ドライブ]を誇らしく話してあげたいと思う。