【ロンドンへの里帰り】
<初日>
オーバーブッキング騒動から一夜あけて、早朝のジュネーヴを飛び立ち、
感慨に耽る間も無く、10時からの打ち合わせのためにヒースローエクスプレスに乗り、ウォータールーへ。ドキュメンタリー映画作家と2時間ほど実りある打ち合わせ。その後、近くのBFI(英国映画協会)図書館で、資料本を読んだ後、宿にチェックイン。
茨木高校の後輩で弟(も同じ高校)の友人でもある小塚君と再会。昔劇団も手伝ってもらっていた。
20年前に小塚君も一緒にロンドンに来たことがあり、それがきっかけか、今や彼はロンドンに広告代理店の会社を構えている。
20年前に一緒に食べたピカデリー近くのスイス料理St Moritzが忘れらず、今度はご馳走してくれるというのだ。20年間かわらず注文しているフォンデュ・ブルギニヨン、子牛のクリーム煮を食べる。その後、二人で『レ・ミゼラブル』へ。
『レ・ミゼラブル』はもう何十回見たかわからないが、やはり電池切れ直前でロンドンに駆け込んだものにとって充電のようなものだ。とるものもとりあえず、見なくてはならない――と、やはりこの作品は序曲の最初の和音から新しい驚きがあった。すべてのセリフ、すべての動きを覚えているのに(この日は、娼婦になったフォンティーヌがおっさんに絡まれるシーンで、後ろから出てくるジャベールたち三人の立ち位置が以前までと違っていたがわざとか?)、それでもすべてが新しい。この日のエポニーヌは、私が見ているなかでは初めてのアフリカ系女優が演じて、彼女の「熱」を歌い上げていた。
レスターのパブで一杯だけ飲んで帰宅。
<2日目>
朝はすこし作業をした後、トテナムのBFIへ。いきなり訪れて地下の映写室にいる担当者のスティーヴを驚かせようとしたが、本日休みとのことでサプライズ失敗(笑)。スティーヴはぼくが400巻のチャップリンのNGテイクを見たときに、その巻をすべて運んでくれた技師。「お前のせいで腰痛が悪化した」といつも責められる。一緒にサッカーを見に行ったり、犬のレースを見たりする仲。彼から強制的に「ウェスタム・ユナイテッド」のサポーターにさせられた。
24年間通う中華街のウォンケイでいつものダックライスを食べるのはもはや儀式である。ロンドンといえばダックライス。店に入れば挨拶の前に「ハウメニー?」と怒鳴られる。「ハウメニー」は中国語ではないかと思っている。
夜は、半額チケットが出ていたので、「 42ndストリート」の舞台版を見る。バークリーの振り付けを舞台で再現した意欲作。絢爛豪華な古き良きブルードウェイと大人数のタップダンスの迫力を堪能するものの、あまりに単純なアメリカンで乗り切れずにいたが、ラスト10分で当時のブロードウェイの情景(上演されていた作品群の看板)のなかで歌うのをみたとき、この作品が1933年の作品であることを思い出し、本作の批評性に気づく。大恐慌から4年後に、勢いあるビッグバンドのジャズで、絢爛豪華なレビューを上演することの批評性。すぐれた作品には、時代を前に進める批評性(否定性?)があると痛感しながら帰宅。