論語の中で最も大切な徳 ~仁~ | 人生が変わった30代からの習慣

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●論語の中で最も大切な徳 ~仁~




こんにちは、小野尾です。




論語では「仁」が最も大切な徳だといわれています。「仁」がどんなものであるか、論語では様々な表現がされています。




今回は「仁」に関する論語の言葉を3つご紹介します。「仁」について理解を深めてください。




では、日本人の教養講座の第三章「日本人が大切にしてきた道徳」の第一項「日本人が大切に大切にしてきた『論語』という価値観」の第三回目をお送りします。




私利私欲に負けず、礼に叶った言動をすることが「仁」




どういうものが「仁」であるかについて、論語では様々な説明がなされています。その全てをご紹介することはできませんので、代表的な言葉を3つご紹介します。




まずは「克己復礼」という言葉でも知られている、この言葉をご紹介します。




顔淵仁を問う。子曰く、己を克って礼を復むを人となす。一日己に克って礼を復めば、天下仁に帰す。仁をなすは己に由る。而して人に由らんやと。





顔淵曰く、その目を請い問う。子曰く、非礼視ること勿れ。非礼聴くこと勿れ。非礼言うこと勿れ。非礼動くこと勿れ。 顔淵曰く、回不敏と雖も、請うこの語を事とせんと。




顔淵は孔子の弟子の中でも特に優れた人物です。その顔淵が孔子に「仁とはどんなものですか。」と質問したことに始まる顔淵と孔子との仁に関するやりとりです。




顔淵の「仁とはどんなものですか。」という質問に対して孔子は、こう答えました。




「自分の欲望に打ち克って、何事にも礼を踏まえることを仁という。




一日でも自分の欲望に打ち克って礼を踏まえた行いをすれば、人々は感化されて仁になびくようになる。




仁は元々自分の心の中にあるもので人からいわれてやることではない。」




顔淵はさらに質問します。


「もう少し詳しく教えて下さい。」




孔子は答えます。


「礼から外れたことは、見ないこと、聴かないこと、言わないこと、そして行わないことだ。」




顔淵は「至らない私ですが、精一杯勤めてみます。」と答えました。




私利私欲に負けず、礼に叶った言動ができれば仁となるということですが、実際にやってみるとなると、どちらも難しいものです。




しかも、仁はもともと心の中にあるもので、人に言われてやるものではありません。




仁を行うには、まず、私利私欲に勝つことと礼に叶った言動が必要だと思う心を持つことから始めなくてはいけません。




そうは言っても、私利私欲を完全になくすことも常に礼に叶った言動をすることも、すぐにできることではありません。まずは、できる範囲で始めてみるといいでしょう。




孝弟の心が「仁」を行うもと




次に、仁を行うもとになる心がある、ということをご紹介します。




有子曰く、その人と為りや孝弟にして、上を犯すことを好む者は鮮し。上を犯すことを好まずして、乱を作すことを好む者は、未だこれ有らざるなり。君子は本を務む。本立って道生ず。孝弟なる者は、それ仁をなすの本か。




孔子の弟子の一人である、有子の言葉です。有子が仁のもとになる心について語っています。




「孝弟の心の持ち主で、目上の人に立てつくことを好む人はいないし、目上の人に立てつくことを好まない人で世の中を乱すことを好む人はいない。




君子のような立派な人は本がしっかりしている。本がしっかりしてこそ人としての生きる道がはっきりする。目上の人を尊敬し素直に従う心が仁のもとではないだろうか。」




「孝弟」というのは親や兄など目上の人を尊敬し素直に従う心です。日本には昔から目上の人を尊敬する孝弟の心がありましたから、ちょっと古めかしい言葉だと感じられるかも知れません。




でも、この孝弟の心がなくなってしまっているから今の日本がおかしくなっているのではないでしょうか。




孝弟の心がないと、目上の人に立てついても何とも思わなくなり、世の中が乱れても何とも思わなくなってしまいます。




おかしくなった今の日本には、両親、兄姉、先輩、先生などの目上の人を尊敬する孝弟の心を見直し、取り戻すことが必要なのです。




孔子が大切にしていた「忠恕」の心は「仁」に通じる




最後に孔子が大切にしていた、仁に通じる心があるので、それをご紹介します。




子曰く、参や、吾が道、一以て之を貫く。曾子曰く、唯と。子出づ。門人問いて曰く、何の謂いぞや。曾子曰く、夫子の道は、忠恕のみ。




孔子と弟子である曾子(参)とのやりとりをみた門人が曾子に質問する場面です。




孔子は、弟子である曾子(参)に呼びかけて「私の生き方は一つのもので貫かれている。」といって、それに対して曾子は、ただ「はい」と答えました。孔子は部屋を出て行きました。




門人たちにはその意味がわからなかったらしく、曾子に「何を言いたかったのですか?」と質問しました。曾子は「先生は貫いている生き方は忠恕だけだ」と答えました。




忠恕というのは「人を尊び、まごころから思いやる」ことです。論語の中で最も大切な徳だといわれている「仁」と通ずるものがあります。




孔子が「忠恕」という心を大切にしていることを言わなくても、曾子にはそれがわかっていたのです。師の心が弟子にしっかりと伝わっていたのです。




「忠恕」を大切にしていることが言わなくてもわかることも「忠恕」だと言いたいのでしょう。




孔子が「仁」にも通じる「忠恕」を大切にしているということも伝わり、言わなくても分かることも「忠恕」だということも伝わってきます。師と弟子の簡単なやり取りですが、奥深さを感じますね。





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